2011-03-16

野の花



余震が続く。昨日から本格的に計画停電も始まり、あちこちで節電も行われている。最初はスーパーに入っても、少し暗くて、「ああ現実なんだ~」と思った。そして、特に昨日は、普段はゆっくりペースの薬屋さんの店頭に置いてあったトイレットペーパーが飛ぶように売れていた。これも節電や計画停電で、街全体が暗くなったせいで、人々の中にあせりが入り、買いだめに走ったのだろうと思った。本当に闇が人間に及ぼす影響を垣間見た気がする。でも、今日はその暗さも大分慣れてきている。人間の適応能力というのも、すごいものだ。買い物している人達も、落ち着きが出た気がした。

そんな中で、主人が帰宅途中に花束を買ってきてくれた。花を見ると心が和む。

聖書の中にこう書いてある:

「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

こんな時だから、花を見つめることが必要なのだろう。

今日は、陶芸教室だったので、行くことにした。実は、昨日もお茶のお稽古の日で、キャンセルになるかと思ったが、先生からの連絡はなく、行ってみた。先生がわざわざ「喫茶去」という掛け軸を掛けていてくださった。「よう来られた。まあお茶でもどうぞ。」という意味。先生も、こんな時だからこそと思って、お稽古をしてくださったよう。3名でのお稽古となったが、お茶を点てたり、いただいたりということが、とっても気持ちを和ませてくれた。終わった後も、地震のことを話したり、情報を交換したり、ささいなことで笑ったりと、良い気分転換になった。

今日の陶芸も、3人だけだったが、楽しくおしゃべりしたり、笑ったり、とてもいい時間になった。人間笑うということも、とても大切。



今日は、新なみこしという土で、器を2つ作った。物を作るということは、心を落ち着けるのに良い。気がまぎれるのもいい。

主人は、これから時間がたつと、まだまだわたし達が助けることが出てくるから、今はあせらずに、自分のやるべきことをして待とうという。主人は神戸大地震やピナツボ火山の爆発の時に、ボランティアに行ったことがある。今は被災された人達、あらゆる作業をしている人達のために祈るしかない・・・・がんばれ~

2 件のコメント:

なか さんのコメント...

joyさん、、どうも~~

野の水仙綺麗に咲いてますね~~輪島でももうじき咲きます、、

Tvは、気を落ち込ませてくれます、、

早く温かい春が来るのを祈るしか有りませんね~~~(^^v

JOY さんのコメント...

なかさん

ほんとに温かい春が来るの待ち遠いですね~

私は最近テレビは少しだけ見て、あとはFMラジオを聞くようにしています。横浜FMの昼間の番組がとても現実的で、励ましも現実的で、良い音楽も流してくれてるので、とっても助かってます。

TVの報道に引きずり込まれないように、お互い気をつけましょうね~

なかさん、ぜひぜひ続けて美しいものを作っていってくださいね~。今もこれからも必要だと思います(^^)