2013-06-21

仕事場

今回の淡路島での仕事は、関わっているアートのグループのホームページの作成の最終段階の詰めの作業にやって来た。

HPのデザインは淡路島在住のアーティストで、仕事場は彼女のアトリエ件、住まいの庭付き平屋建ての縁側。マイナスイオンに癒やされながらの作業となった。

幸い台風の影響で、ずーっと雨だったので、外に出掛けたいという誘惑もなく、作業が出来てよかった〜。

2013-06-19

初上陸 淡路島

今回の最終到着地、淡路島に到着!初上陸。以前、シンガポールの人から淡路島とシンガポールは大体同じ大きさだというのを聞いた事がある。

島らしい時間の流れが感じられる。主人が一緒に来ていたら、きっとここに住みたいと言うだろうな…2泊の滞在。仕事もがんばりま〜す。

大阪着!


新幹線での静かな時間を持って、無事新大阪に着いた。JRの在来線に乗って大阪駅まで行き、阪急梅田駅まで少し歩き、近くにある、阪急高速バス乗り場になんとかたどり着いた。途中エスカレーターに乗ると関西に来た感じが一気にした。

今晩は友達宅泊なので、バスの出発前に、頼まれた朝食用のパンを買おうと思ったが、やはりアウェイだとパン屋さんがなかなか見つからず、祈りながら歩いてみたら、無事見つかってパンをゲット。

約1時間40分で、目的地に着く。

今日はこれから


今日はこれから、JRの「ぷらっとこだま」に乗って、まずは新大阪まで。

「ぷらっとこだま」は、以前友達から聞いて、利用したいと思っていた。各駅停車の新幹線だが、少し安くて、飲み物も一本付く。グリーン車にもプラス1500円で乗れる。時間に余裕があれば、お徳感満載だ。

今回は、仕事なので、交通費は出して頂けるため、グリーン車代は自分のお小遣いから出して、ちょっとゆったり旅。飛行機で移動する事も考えたが、今回は新幹線にして正解。まさかまた台風が近づいて来るとは思っていなかった。強風の中の着陸は結構スリリングだ。

荷物を持っての移動はいつもなら汗だくになる所だが、今日は曇りで風もずいぶん吹いているので、助かった。

雨が心配だったので、少し早目に家を出て、新横浜でお昼やお土産を買って時間を潰した。

3時間半、仕事をしたり読書しながら、とりあえず新大阪まで、楽しもう。

2013-06-14

しのぎの湯呑み茶碗


友達のリクエストにお応えして、夫婦湯呑茶碗を作ってみた。

最初は絵付けでもしてみようかとも思ったが、Y先生と話しながら、Y先生のお得意とする、「しのぎ」に挑戦してみることにした。

しのぎは、いつものように、削りをした後、上下に鉛筆で線を引き、その間を先が小さく丸いカンナでしのぐ。実は、湯呑は全部で3個作り、最初は練習用として、先週しのいでみた。丸みのあるところへまっすぐにしのぐのは、最初は難しく、だんだん斜めにしのいでしまい、最後はまぁ、これはこれでいいかという感じになってしまい、写真も撮り忘れてしまった。

2個目からは、プレゼントするものなので、結構慎重になった。Y先生いわく、「呼吸を止めて、すーっとしのぐ。」なのだそうだが、なかなか「すーっと」はいかず、何回か止まってしまいながらの作業だった。1/3終えたぐらいには、「私には無理かも~」と弱音を心の中で吐いていたが、とりあえずやり終えなければいけないと、教えていただいた通りに、そして気持ちを集中させて、息を止めながらやっていったら、最後は手が慣れて、無事に最後までしのげた。

2個目は、終了時間も迫っていて、どうしてもその日のうちに完成させておきたかったので、さらにスピードアップしてやれた。しのぎ、楽しい!

なんとか、夫婦湯呑茶碗になったかな。

2013-06-10

名前


ドクダミが家の周りに咲き乱れている。とってもかわいい花だと思うが、これほど嫌われがちな花もないだろう。昔、家の庭に生えてくると、母は「まったくもう嫌な草だわ。」的なコメントをしていた思い出があり、小さい頃から、ドクダミは悪い草で、忌み嫌うべきものだと思っていた。

葉の匂いがきつかったり、抜けども抜けどもしぶとく生えてくるのも、玉に瑕なのかも知れない。

しかも、名前が「ドクダミ」と毒づいている。ウィキペディアによると、別名、ドクダメ(毒溜め)、ギョセイソウ(魚腥草)、ジゴクソバ(地獄蕎麦)。なんともかわいそう。

でも、大人になり、冷静に群生しているドクダミを見てみると、花がかわいくて、葉っぱも綺麗だ。効用も利尿作用、血圧を下げる、血液をサラサラにするなど、人の役に立つものばかり。どくだみ茶としても商品化されている。名前とはうって変わって、実はとっても役に立つ草だ。ドクダミの名称も実は「毒矯み」(毒を抑える)から来ているそうだ。

名前といえば、今日ネットニュースを見ていたら、小中時代の親友だったKと同じ名字のトニー賞を取られた方の記事が目に飛び込んできた。そして、写真を見ると、あれあれっ!なんか見たことのある顔で、もしや親友のお兄さん?と思ったけど、残念ながら、この親友とは連絡が途絶えてしまったので、聞くことができない。

記事を読みながら、10年程前に、生まれ育った街を訪れていた時に、たまたまKのお母様に道でバッタリ会い、親友の事やその娘のお兄さんが、ニューヨークで仕事をしてることを話してくれたのを思い出した。そして、私の兄と確か同級生だった事を思い出し、すぐに仕事中の兄にメールで確認したところ、

「質問の件、そのとおりだと思います。(同期です。)

 演劇・俳優の世界に入って脇役で偶に
 出演しているようなことを以前聞きました。
 きっとその後作り手となり、成功を収めたのでしょう。
 すごいですね!」

と返事が来た。やっぱりそうだった!Kの家に遊びに行った時、一緒に遊んだ事もあった。そうそう、その当時流行っていたツイスターゲームをした覚えがある。まさかこんなに活躍されているとは。とても嬉しい限りである。Kも今はどうしているのかな?何かのつながりで、また連絡を取れると良いのだが・・・・

陰ながら、おめでとうございます!!!


 【ニューヨーク=中井大助】米国演劇界で最高の栄誉である第67回トニー賞が9日夜、ニューヨークで発表され、ミュージカル部門の作品賞にはブロードウェーを拠点に活動している川名康浩さん(52)がプロデューサーとしてかかわっている「キンキー・ブーツ」が選ばれた。日本人がトニー賞の受賞者に名を連ねるのは初めて。

 トニー賞は、ブロードウェーで上演されたミュージカルと演劇が対象で、作品賞についてはプロデューサーが受け取る。経営難の靴メーカーが、女装用のブーツを作って再建に取り組む過程を描いた「キンキー・ブーツ」は、歌手のシンディ・ローパーさんが作詞作曲を担当したことでも話題となり、スコア賞など計6部門に輝いた。演劇部門の作品賞は「ワーニャ・アンド・ソーニャ・アンド・マーシャ・アンド・スパイク」が受賞した。

 川名さんが関与したミュージカルがトニー賞候補となるのは「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2011年、作品賞)「エビータ」(12年、リバイバル作品賞)に続いて3年連続。日本企業がプロデュースに加わったミュージカルでは1991年に日本衛星放送の「ウィル・ロジャーズ・フォーリーズ」が作品賞、92年にテレビ朝日の「ガイズ・アンド・ドールズ」がリバイバル作品賞を受賞している。今年のリバイバル作品賞に輝いた「ピピン」もキョードー東京がプロデュースに参加した。

.朝日新聞社









2013-06-08


今週のお茶のお稽古に出てきた主菓子は、水饅頭の中に餡子ではなく、葡萄の黄色の身が入ったもので、思わず「蛍みたいですね。」と言った所、三渓園という横浜で有名な日本庭園の近くに住むOさんが、「今週、三渓園で蛍観れますよ。」とお話ししてくださった。

さっそく、主人に金曜の夜仕事帰りに行ってみようと誘い、自転車で昨晩行って来た。

以前、何回か三渓園には行った事があるが、夜の公開時に行ったのは、初めて。ちょうど花菖蒲も綺麗に咲いていて、ライトアップされていた。さすがに金曜の夜は子供連れの方も多く、あちこちで賑やかな声がしていた。

蛍のいる湧水の流れている奥まった場所へ、ぞろぞろと歩いて行き、段々暗がりの道順の方へ入って行ったら、見えた!淡く、でもしっかりとした光を何の法則もなく点滅させながら、ゆらゆらと飛んでいた。何とも幻想的で、一気に蛍の世界に魅了された。

場所を変えながら、最終的に座れる場所を見つけて1時間ほど閉園時間まで、主人と共に神様の創造された美しい生物に観入ってしまった。主人は「人間にはああいう光でああいうふうに飛ぶ小さな物は決して作れないよね。」と言っていた。ディズニーランドの「カリブの海賊」の乗り物の最初の穏やかな所を通る時に、蛍が飛んでいる所があって、最初見た時は感動したが、2回目以降はフェイクとしか見れずちょっと虚しくなった。本物はいくら見てても飽きさせないものだ。

蛍は英語では「Firefly」と言い、直訳すると「火のハエ」。まあそうだろうが、何とも味気ない感じがする。漢字でも火かんむりに虫とも書くが、'○○虫'とは付けなかった。もし付けていたら「ほっほっほーたる来い♪」の曲も生まれてこなかっただろう。子供達は今でもこの曲を歌っていた。

もし蛍が光をずーっと放ちながら飛んでいたら、結構鬱陶しかったかも知れない。法則なしで点滅しながら、たった1週間だけ光を放ち命を尽きる蛍が、日本人の感性に合っているのかも知れない。

                                 
ちょうど三渓園に行く前に、横浜美術館でやっている「横浜美術館コレクション展『賛美小舎』—上田コレクション」にアメリカ人の人達を連れて行った。マコトフジムラさんの作品もいくつか展示されている。

この「賛美小舎」という名前の由来が入り口に記されていてた。上田氏が岡倉天心の思想やマコトフジムラさんが示す'日本文化の根底には美を賛える心がある'と言う事に共鳴して自邸を賛美小舎と名付けたとあった。

こんな事も考えながら観ていた。周りでは大人も子供も蛍に感声をあげていた。

帰りに本牧の回転寿司によって少し遅めの夕食を頂いた。思わず最初に注文したのは'蛍烏賊'の握り。蛍に感化された夜だった…