2010-12-20

メリー クリスマス!



今、アメリカでヒットしている、YouTubeだそうです。

感動しました・・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=SXh7JR9oKVE&feature=youtube_gdata_player

良いクリスマスの時季を!


2010-12-17

今年の粘土納め



ゴブレット完成!削りを始めた時は、まさかこんな感じになるとは、思ってもいなかった。これも、危うく違う作品になるところから救われた。



後は先週作ったお皿の削り。手回しロクロで作って、てぐすを使って、ロクロからお皿を切り離すとき、底を思ったよりそぎ落としてしまったので、高台を掘り出す事ができなかった。

なので、紐で高台をつけることにした。Y先生が、ロット土は焼いてると薄いところが反ってしまうこともあるので、補強のためにも二重高台にしたらよいということで、こういうかわいい感じの高台になった。

高台をつけたところで、時間がきた。

今年も、色々作れた。去年より少しは上達したかな。今年一年ありがとうございました!

2010-12-14

最近の陶芸



一年に一回、陶芸教室では、T先生が4日間泊り込みで、志野焼きを焼いてくださる。今年は私も抹茶茶碗を焼いてもらうことにした。




釉掛けも終わり、後はこれがどのように焼きあがるのかを待つのみ。

奥は、頼まれて作ったお皿。赤土7号に白化粧の釉薬を刷毛で塗り、その上から透明釉を掛けた。



これも、頼まれて作った、ゴブレットの足を付けていないもの。かなり大きな作りになった。作ってみたものの、一週間経ったら、何かイメージとかけ離れたものになってしまった思い、もう一つ作り直そうと思った。でも、もったいないので、これも何かにしようと、もう少し削ってから周りに穴をたくさん開けて、低いキャンドルにかぶせる置物にしようと思った。




でも、削っているうちに、またゴブレットのような形になり、同じ教会に通うYさんも「いい形じゃない!」と太鼓判を押してくれたので、最初のプランに戻り、足を付けてゴブレットに。


粘土の紐を作って、本体の底に傷を付け、水を塗ってから紐を積み上げた。



この作業の途中に、本体の粘土を濡れタオルに包んで、少しやわらかくし、紐の粘土となじみやすくするために、しばらく置いておく時間ができた。


その間に、何か作っても良いということで、その日の午前中に「自分の家用に、お皿が欲しいな・・・」っと思ったので、ロット土で作ってみた。以前作ったお皿と同じようになればいいのだが。

奥の作品は、横で作業をしていた、裏千家のお茶の先生でもある、Tさんの茶入れ。いつも独創的な作品を作られている。





2010-12-09

ハワイの旅~カイルア



3日目は日曜だったので、午前中はホテルから歩いて行けたHope Chapel Waikikiへ3人で。

着いた日に、カイルアに住んでいる友達で日系3世のRに挨拶がてら電話をしたら、日曜の午後ホテルまで迎えに来てくれて、オアフ島の南側を通って、カイルアまで連れて行ってくれることになった。義母に素敵なレイもプレゼントしてくれた。




カイルアは、ここにある写真では、うまく写せなかったが、とっても美しいビーチ。私の中で、世界で一番好きなビーチ。



今回の旅は義母と時間を過ごす事が目的だったので、まさか友達と会うことができるとは思っていなかったし、ましてや3泊の旅では、ワイキキから離れたカイルアビーチに行くことも断念していた。

主人もハワイがこんなに美しい場所だとは思っていなかったそう。主人がRに「あなたの祖先はベストな場所に移民されましたね!」っと。



カイルアビーチで主人と泳げたのは幸せだった。前回来た時はまさか旦那さんと旦那さんのお義母さんとここに来れるとは、夢にも思っていなかった。 義母もカイルアを満喫してくれ、喜んでくれた。

本当は、Rの年老いたお母さんにもご挨拶したいと思っていたが、私達がカイルアビーチで泳いでいる間に、教会でのコンサートが始まってしまったそうで出掛けてしまったそう。会えなくて残念だった。でも、ちゃんとお土産を用意してくれていた。これがハワイの人のホスピタリティーだ。





私にとってお姉ちゃんのような存在のRが、「またおいで」っと。

また、来ようね!

パールハーバーで遭遇したロケ:
【綾瀬はるか 戦争を聞く~真珠湾に散った恋~】
の全編は、12月12日4pm~5pm TBSで!




2010-12-08

ハワイの旅~パールハーバー



ハワイに着いて、義母と会ってから日程を話していると、義母が歴史的な場所であるパールハーバーに行ってみたいと言った。実は、私たち夫婦も11月初旬にあった日系アメリカ人の歴史ドラマを見ながら、ハワイに行くなら、第二次世界大戦が始まるきっかけとなった、パールハーバーに行きたかったので、びっくり。さっそく行く事にした。

路線バスに乗り、ワイキキから約1時間。同じバスに数人の日本人観光客も乗っていた。



まずここに着いてから、最初にしておかなければならないのは、日本軍に撃沈された戦艦アリゾナの真上にある記念館に行くためにボートに乗るので、その整理券をもらうこと。その後、当時の映像を観たり、敷地内を散策できる。

当時の映像を見ながら、周りがほとんどアメリカ人(西洋人)だったので、東洋人であり日本人である私達少数派を周りの人はどう見るのだろうと少し不安になった。 



50~60名ほどが乗れるボートに乗り、アリゾナ記念館へ。そして、この船には、日本人は私と主人だけ。主人はアメリカ人の血も入っているので、生粋なのは私だけ。


戦後65年経っているが、私を見て他の人はどう思うのだろうか。日本人がこんな所にいて、不快に感じるだろうかと不安に思い、恐怖心になっていった。恐怖心が起こると、自分の中で守りの体制が生まれてきた。「でも、アメリカだって広島・長崎に原爆を落として、もっと悲惨な目に日本はあったんだし、パールハーバーごときで批判しないでほしい。」

だんだん、言われてもいないことを、自分の頭の中で考え出し、自分の心の中では闘争モードになっていくのをハッと感じた。恐怖心が起こると自分を守る体制に入り、やがては争いごとを起こす発端になるのだろうと体験した。

そんなとき、聖書のことばを思い出した。

「まったき愛は恐れを締め出します。」

ふっと、自分を守ることではなく、神様の愛や、人を愛することに心が向いたら、周りの見ず知らずのアメリカ人に対して心のガードが下がった。



記念館の真下に戦艦アリゾナが沈んでいて、まだ油が船から出ている。遺体も引き上げられていないそうで、ここはお墓でもある。いつも陽気なアメリカ人も、とても静かで亡くなった方々に敬意を払っているようだった。

この場所で、義母と祈りをささげた。今はハル・ノートが発見され、パールハーバーの襲撃は不意打ちではなく、大統領はもうすでに知っていて、あえて日本軍に攻撃させ、戦争を起こすきっかけにしたのではないかとも言われている。(戦争が起こると、お金が儲かる人達がいるため)だとしても、日本軍がここで約2400人(民間人は約50名)を殺す結果になったのは、事実。神様の前とアメリカ人の義母の前でそのことをあやまった。

帰りのボートは周りのアメリカ人達も、陽気さを取り戻していた。

ブックストアーに立ち寄ったら、パールハーバーだけでなく、ちゃんとした広島・長崎の本や日系アメリカ人の強制収容所についての本も置いてあり、ちょっとホッとした。もう戦争は起こしてはいけない。

また、TBSのテレビ報道カメラのクルーの人がいて、何を撮っているのだろうと思ったら、帰り際に「綾瀬はるか」さんが車から降りてきて、横を通り過ぎて行った。以前、原爆の日に広島出身の綾瀬さんが、今は亡き筑紫哲也さんのニュース番組のドキュメンタリーに出ていたのを見たので、12月7日(ハワイ時間)のパールハーバーの記念日のための何かのドキュメンタリーを撮りに来たのだろうと思った。

ちょうど、今晩、TBSの10:54pmからのニュース23クロスの番組で、その模様が放映される。



パールハーバーからまたバスに揺られ、ホテルに戻ると、なんと近くの山に虹が出ていた!義母も私達も、心が嬉しくなった。

2010-11-23

ただいま!

無事成田到着。今日の飛行機を降りてから、税関を通って出口に出て来るまでの時間は約16分。悪くはない。

日本の色彩も味わいがある。

旅のまとめは、少したってから・・・・

マハロ


3泊の旅も無事楽しく終わった。朝早かったけど、義母がホテルで見送ってくれた。

これから、搭乗!

アローハ、マハロ!

2010-11-21

アローハ

無事ハワイに着き、義母とも3年ぶりの再開。

昼は、ヘンリーズプレイス(高橋果実店)で、サンドイッチとカットフルーツを買って、公園でピクニック。ワイキキビーチも散歩した。

夜は、フードパントリーで寿司やサラダを買い、ホテルのバルコニーで夜景を見ながら会話に花を咲かせながらの食事。

2日目の今日は、3人でパールハーバーへ。お天気も晴れていて感謝。

2010-11-19

行ってきま〜す

それでは、行ってきま〜す!

ちなみに、ハワイで一番したいことはと主人に聞いたら、「テレビ見ることかな」と言ってました(*^o^*)

今日はこれから

今日はこれから、主人と常夏の島ハワイのオアフ島へ。今回はアメリカ本土に住んでいる、義母と中間地点で落ち合う事になった。残念ながら義弟達は今回一緒にいかれなかった。

主人の仕事も今月、来月は忙しい中、感謝なことに工程がずれたため、この3泊5日の旅の間、さほど忙しくなく同僚の方からも、心良く送り出してもらえた。

私も今月末に、講演会のイベント企画の準備で、この数ヶ月気忙しく過ごしていたので、本番前にちょっと一息。

ハワイへは、独身時代友達の所へ何回か行った事はあるが、今回は久々。ホノルルは初めてなので、古い「地球の歩き方」を引っ張り出したり、ネットで調べながら、下準備をした。

常夏の島だが、今は雨季なので、うまく晴れてくれると良いのだが…

格好を見ると、決して常夏の島へ行く風には見えない。ハワイに着いたら浮きそうだ。

2010-11-02

新たな驚き



今朝の食卓での主人との会話の中で、お互い驚いたことがあった。

Joy: 「このポトス、水だけしかあげてないのに、どんどん伸びてくよね~。」

William: 「えっ、これ造花じゃないの?水あげてたの?」

Joy: 「えっ、そうだよ。本物だよ~。」

このポトスは、私が独身時代から育てていて(っと言っても水をやるだけだが)、一緒に引っ越してきて、結婚当初からこの食器棚の上に置いてあり、伸びては何度も刈り込みをしてきた。

主人はこの食器棚の前に背を向けて、座っているので、まあじっくり見ることもなかったのだが、目には入っていたはず。

結婚する前に、男女の違いについて、色々と学んだことがあった。男性と女性の脳は、胎の中で造られる時点で、大きな違いを持って造られているそうだ。そういうことによって、男性は一つの事に集中型、女性は一辺に色々な事に目を留められるそう。

この特徴は、バランスが良く取れていると思うが、この違いを知っていないと、すれ違いも起きてしまう。

きっと、主人は他の事を考えたりしていて、そんなにポトスのことは、この3年10ヶ月の間目に入っていなかったのかも。

いや、ちょっと待てよ。もしかしたら、主人の視力は私より弱いので、本物と造花の区別がつけにくかったのかも・・・・

まあ、とにかく結婚4年目の新鮮な驚きだった。まだまだ出てくるかな。



そして、今日は気持ちの良い天気になったので、気になっていたところの草取りをした。11月だし蚊もいなくて、草取りしやすくなったと思い、完全にアウェイで草取りをしていたら、5分も経たないうちに蚊に囲まれてしまった。そそくさと退散し、家に入ってみるとなんと10箇所も蚊に刺されていた!

それにしても、11月にムヒを使うのは、生涯初めてのことかもしれない。蚊は先週の寒さをどこで凌いでいたのだろう・・・・

2010-10-21

母親もどき


(アメリカでは、歯磨き粉まで3D。歯が3Dだと出っ歯になるのでは?)


日曜の夕方から、4泊5日で、ひばりヶ丘のアメリカ人家族友達の家に手伝いに行ってきた。

今回のお手伝いは、アメリカ人宣教師夫婦のNさん達が、夫婦での海外出張が入ったため、一人娘で12歳のNちゃんのお留守番のお世話をするためだった。

赤ちゃんの頃から知っているNちゃんではあったが、今回二人だけで過ごすのは初めてのことだった。12歳は、子供の部分ももちろんあるが、ティーンネイジャーの一歩手前という自覚も始まっている頃。果たして5日間どうなるかと、ちょっと緊張した。

最初の晩の夕飯は、お互い緊張していて、ぎこちない会話だったが、そのあと、宿題が早く終わったので、ゲームをすることになった。ゲームをしたことによって、大分心が打ち解けて、お互いの緊張感も少なくなった。ゲームをしている時のNちゃんは、完全に子供になった。食事時の会話など、チラッと大人っぽいところもかいま見せていた。この時期は、ほんとに子供と大人が交じり合う面白い時期だと思った。私も12歳の時はこんなだったのだろうか。

それにしても、母親行というのは、本当に大変なものだと思った。何が大変かというと、決められた時間内で、色々なことを子供としなければいけないということ。子供無しの生活をしていると、時間の使い方が、自分のペースでできるが、子供がいるとそうはいかない。外出していても、子供が帰る前には、家にいないといけない。食事も、寝る時間も、子供の体内時計はちゃんと働いていて、だらだらしてはいられない。

短いNちゃんとの生活の中で、自分の中に母性本能がちゃんと備わっているのも見れた。ある晩、Nちゃんと近くのコンビニへアイスを買いに行った時、歩道のない車の通りを歩いていた時に、もし車がぶつかりそうになったら、Nちゃんを押しのけても、自分が車にぶつかれると本気で思えた。主人と歩いている時は、主人がいつも車道側を歩いてくれて、自分が守られていて、そんなことは考えてもいなかったが、本能というものは与えられていて、必要な時にちゃんと出てくるものだと思った。

とにかく、5日間、緊張はしていたものの、なんとか役目を終わらすことができた。小さな事でも、神様に祈ってゆだねたことは、無事うまくいって、自分の力でやろうとした時は、空回りしていた。

最後の朝、バス停までNちゃんを送りに行って、「また、来月横浜で会えるよ。」と言ったら、「今度会うときは、私はティーンエイジャーよ!Thanks for staying with me!(泊まってくれてありがとう)」っと、お礼まできちんと言ってくれた。大きくなったものだ。

Nちゃんは、来月13歳(Thirteen)のティーンエイジャーになる。ちゃんとお誕生日のプレゼントの催促もしてたのかな?

今回の経験を通して、お母さん達の凄さと、大変さを実体験できた。お母さん方、尊敬します!

2010-10-14

アメイジング・グレース!チリ鉱山



あー、本当によかった!33人が地中から救われた!

8月にチリで33人が鉱山の地中深くに閉じ込められ、17日目に生存が確認されたというニュースを見て、目を疑った。そして、救出がクリスマス頃であろうという、気が遠くなるようなことも聞いて、会ったこともない人達だったが、無事に地上に出て来れるように、又待っている家族のために、ニュースを見るたびに、祈らずにはいられなかった。

そして、昨日の朝は主人と一緒に無事に救出作業が終わるように祈った。最初から最後まで作業を見ていたい気分だったが、昼前に用事があり、午後も陶芸教室があって出掛けなければならず、最初の救出者は、夕方のニュースで見た。でも、やはりライブで出てくる人や、家族の姿を見ると感動で、涙があふれた。

それにしても、本当に奇跡の生還になった。33人の中には敬虔なクリスチャンの人達や牧師さんもいて、コメントの中に、神に感謝するものが多かった。ものすごい過酷な状況の中で、神に希望を持ち続け、家族に会えるのを励みに、がんばれたのは驚くばかり(Amazing)で、神の恵み(Grace)としか言えない。

これを機に、世界中の色々な現場の安全が、再認識されるといいのだが。

早く普通の生活に戻れますように・・・・。あー、でも本当によかった!

2010-10-13

ホームスタジオ化



先週の土曜日、アーティストのミーティングがあって、私は都内へ、主人も髪を切りに横浜駅まで一緒に行った。その後主人は楽器屋さんに行くと。電車の中で主人は、

「アンプ買うかも。」

「えー、どこに置くのぉ?」

そこまでで、分かれた。

去年、会社のバンドで演奏するため、エレキギターを買ってから小さなアンプが欲しいと、主人は言っていた。電子ピアノも買ってからは、しばらく一生懸命弾いていたが、そのうち部屋のインテリアになりつつあったので、また同じ運命になる可能性は大きいだろうという思いが、頭をよぎった。エレキ熱が冷めていたものの、先日義弟が来てくれた時、ちょうどエレキを持っていたので、主人も押入れにしまってあったエレキを出し、義弟とセッションをして楽しんでいた。

集まりが終わって、携帯を見ると、主人からのメールが入っていた。

「今家着いたよ。ギターアンプ買っちゃった。エヘヘ。」

『あららぁ~。どこに置くの?!』と、思ったけど、返信メールでは一応、『よかったね。』の一言を加えておいた。



主人が駅まで迎えに来てくれ、道すがら中古で安くて良いアンプを、どの様に見つけたかを話してくれた。主人はアンプを買うかもと言った時点で、私が同意したと思っていて、私の中ではまだ、話し合いの途中だった。家に帰ってみると、ピアノの椅子の下にアンプがすっぽり入っていたものの、私としては、アンプが我が家にやってきたことに納得するのに、少しだけ時間が掛かった。

限りあるスペースの中で暮らしていると、ある程度の物が加わる時は、二人の同意が必要になってくる。幸い、引っ越してきた時は、主人が部屋のレイアウトなど、ほとんど私に任せてくれたので、部屋のレイアウトやインテリアを考えるのが好きな自分にとっては、自由にできたのはありがたかった。今回は、最終的な同意無し(主人はあったと言っているが・・・・)の購入だったので、ちょっとビックリしたのも、あったのかもしれない。

夫婦でも、部屋に置きたい物とそうでない物が、同じでない時もある。まあ、一緒に生活しているのだから、ある程度妥協が必要な時もあるのが、夫婦だ。まあ、今回は私が折れるしかない。別に命に係わることでもないし、主人にとって、ギターを弾くことは楽しみの一つなんだし、結婚のきっかけとなったのも、主人のギターの音色だったし。まあ、幸いピアノの椅子の下に収まってくれてるし、ギタースタンドも買って、ギターも倒れなくなったし・・・・でも、これ以上、楽器欲しいなんて言わないよねぇ?例えば、ドラムセットとか・・・・

旦那さん、買ったからにはちゃんとアンプ使って、ステキなギター聞かせてね。(^^)

主人側のストーリーは、主人のブログ「Living with Joy」で、どうぞ。

2010-10-07

やっちゃったぁ



昨日の陶芸は、赤一号で作った、抹茶茶碗の釉掛けから。全部で3個作ったうち、一つは透明釉を掛けて作ったのが、焼きあがっていて、土の色がなかなかよかったので、もう一つ同じように、透明釉を掛け、もう一つは、あめ釉を掛けた。こちらはこげ茶っぽく出てくるはず。陶芸は、最終的な色は焼いてからでないと、なんともいえない。



その後、今度は志野焼きの抹茶茶碗二個のうち一個の削りに入った。こんな自然なひびの入った肌合いのもので、どうなるか楽しみ、

だったが・・・・・



やっちゃった!先生からは「底の厚さを見ながら削ってください。」と言われつつ、目標の重さにするために、勢いよく削っていたら、穴が開いてしまった。かなり底も薄くなっていた。志野焼きは4日間窯の中で、火に耐えるため、この薄さでは修復も不可能ということ。仕方なく、もう一つの削りを今度は慎重に始めた。



今回の土は、五斗蒔混合土。前にも使った五斗蒔土と微妙に違った。知らずに、混合土の削りかすを五斗蒔土のバケツに入れてしまった。土は性質が違うものがあるので、一緒にはできない。バケツから救い出して、混合土の方に入れ直した。幸い微妙に色が違ったので、うまく取り分けることができた。気をつけないと・・・・



こちらは、Mさん作の、お茶道具の一つで、一閑人の蓋置き。いつも丁寧に仕上げてらっしゃるので、これもとても綺麗に仕上がっている。

私ももっと丁寧に作るように心がけなければ・・・・と思いつつ、いざ作り始めると、大雑把で大体になってしまう。まあ、これも私の個性なのかな。

2010-10-04

嬉しい日

先週の土曜日、友達の娘さんの結婚式へ横浜の大桟橋ホールに行ってきた。

とっても綺麗な花嫁さんで、新婦の父とバージンロードへ入って来た時には、みんなの口から「綺麗~、かわいい~!」と、あちこちでささやかれていた。本当にステキな花嫁さん、そして新郎だった。

場所もステキで、大きなガラス窓の向こうには、海やベイブリッジが見え、式の間、カモメが飛ぶのも見えた。



牧師さんの聖書の中からの話も、よかった。「妻は夫の宝です。」という言葉に、主人も納得。式後から一段とまた優しくなった気がする。


「妻は夫を敬うこと。」私も納得。先週、突然衣類乾燥機が動かなくなってしまった。変な音もした。乾燥機に頼って洗濯をしている私にとって、その週は天気も良くなさそうだったので、少々パニクった。そして、すぐにオークションで安い乾燥機はないかと探し始めた。最近大きな出費が続くので、予定になかった出費はちょっとつらい。でも、自分の中ではもう買うモードになっていた。


一応主人に了解をとってからと思い、携帯メールでその旨を伝えると、「修理できるかもしれないし、帰ってから考えよう。」ということになった。「えー、そんな待てない・・・」と思いつつ、頭の中には、以前から聞いていた「妻は夫を敬いなさい。」という言葉が響いた。「夫を敬うということは、夫の言うことも敬わなければ・・・・。」と思い、オークションで落札することは、やめた。

でも、洗濯物が雨で乾かない・・・・主人からの「修理」という言葉が、引っかかり、「インターネットで、もしかしたら同じような問題で、修理した人がいるかも!」と思ったら、やっぱりいた!さっそく、ドライバーを持って乾燥機の背面を開け、チョコチョコやったら、また動き始めた!「落札しなくてよかった~。夫が言うことを敬ってよかった~。」
 
 
結婚式には、主人の3番目の弟も来ていた。久々だったので、レセプション後に我が家へ誘ったら来てくれ、焼肉をつつきながら、色々な話しをした。数時間だったが、私達夫婦にとって、とても嬉しい時間になった。結婚後最初のお正月に来てくれた時は、私もまだ夫の家族の中では初心者だったが、今回は結婚4年目に入り、なんとなくもっと家族になった気がした。いつか、アメリカにいる2番目の弟も来てくれ、3兄弟での話しも聞いてみたい。
 
主人の弟達は、主人より背が大きく、靴もこんなに大きさが違う。 ちなみに主人は26.5cm、弟は30cm。
 
また、いつでも来てね!

2010-09-16

昨日の陶芸は、12月恒例の志野焼きにあわせて、抹茶茶碗二個と、3月までに焼き上げたいお皿一枚を作った。写メを撮ろうとしたら、電池切れで撮影不可。なので、最近焼きあがったものを。

少し大きめの鉢。もう少し白くしたかったが、焼きあがったら、面白い感じの色になった。




これは、備前焼の少し大きめの器。吹き付けたところが面白く出た。
二つとも、それぞれ違う友達のところへいく。

これは、丁寧に削りの作業をしていたMさんの、掛け花入れ。焼きあがってから、表面に墨を塗ったら、きれいな貫入が入った。



この間の、お茶のお稽古の時に、先生がお花を入れて飾ってくださった。器はやっぱり、使うと美しさが増す。

今日は、これからいざ東京へ・・・

2010-09-11

式根島の旅 総集編


 
式根島での旅もあっという間に終わってしまった。
 

 
港で、おばあちゃんが孫を見送る姿は情緒があり、今回は胸にぐっときた。齢のせいだろうか。
 
 
式根一日目の夜のテレビニュースで、神奈川県や東京の様子を見て、びっくりした。式根では一日目、2、3回だけ、バーっと雨が降っただけで、その他はさほど天気も荒れず、曇り空で時折日差しが差し、帰る日になって、ようやく良い天気になった。でも、滞在中は曇りだったので、さほど日焼けもせず、ちょうど良い暑さで、体力も消耗せずに助かったのかもしれない。島にいて、守られた気がした。
 
 
今回式根島を選んだ一つの理由は、温泉があるということ。まず一つは、「憩いの家」という屋内の温泉施設。民宿からもぶらぶら歩いて10分程のところにあった。料金は大人200円。ここは固形石鹸のみ置いてあるので、シャンプーなどは持参したほうが良い。なぜ、シャンプーやボディーソープなど置いてないのだろうと思ったが、島のスーパーに行ってなんとなくわかった。値段が本土に比べると2倍ぐらい高い。輸送費がやはり掛かるからだろう。むやみには置けないのはそのためではないだろうか。また、もともとは島の住民の人のために作ったもので、みんなマイ・シャンプーを持参したほうが、入浴料をおさえられるからだろうか。
 
 
もう一つ行った温泉は、これまた、民宿からぶらぶら歩いて10分ちょっとのところにある、露天風呂。こちらは絶景付きで、無料の温泉「松が下雅湯」。水着着用で、夕方は地元の人や観光客で賑わっていた。式根の温泉はナトリウム泉なので、しょっぱいが、お肌はツルツルになり、体も温まる。ここでは、体が熱くなったら、海へ入って体を冷ますこともでき、この島の30年来のリピーターの方いわく「サウナ」だそうだ。
 
下にぬめりがあるが、毎週1回島のおじいさんたちが、きれいにしているらしい。黄褐色のものが水着に付くので、出る前によくお湯船の中で洗い取っておくのが、ポイントだそう。
 
 
式根島の自然は豊富。2日目は、レンタサイクルで島巡りをした。坂もあるが、耐えられないものではなかった。違う海岸を行ったりきたり、昼食やお昼を買いに行って、また海岸にもどったりできた。
 

(釜の下海岸付近) 
 

(大浦海岸)
 

(たまに車の通る、中の浦海岸に通じる道)
 

(普通に庭に咲いている、ハイビスカス)
 
(主人の一番気に入った、泊(とまり)海岸)
 
海岸の砂も白い。他の伊豆七島の島は、黒い砂が多かったが、式根の海岸のすべては、白い砂浜だった。9月になると人も減るので、プライベート・ビーチ状態が何回かあった。
 

 
水も透き通っている。さすがにこの時期、水温は少し低めだが、水に慣れてくるとさほど気にならなかった。今回はくらげ対策を含め、ラッシュガードを初めて着てみたが、大正解!着る事によって、体温が下がらずにシュノーケリングが楽しめた。心配していたくらげは、いなくて助かった。
 
 
二日目のお昼ご飯。中の浦海岸のバーベキューエリアで、山にいつも持って行くバーナーで、お湯を沸かし、カップラーメンと島で唯一パンを作っている「池村商店」のきな粉揚げパンと卵サンドをいただいた。おいしかった!ランチ中は、プライベートビーチ状態で、なんとも豪華な昼食となった。
 
 
島の人口は約570人ぐらい。おじいちゃん、おばあちゃんが多いらしいが、でも、若い人達もいる。これは、島の中学校。青々とした芝生の校庭。ある年、中学校の先生が夏休みの間に芝生を植え、毎日水撒きをした結果、こんな立派なグランドになった。アメリカの学校を思わせる。島の中学生がうらやましい。秋には、午前中、小・中学校合同の運動会があり、午後は島民全員のための運動会がこの校庭で行われているそう。
 
 
帰る日は、船が10:55am出航だったので、民宿から歩いて3分の所にある、石白川海岸まで散歩し、また温泉を見に行ったり、ゆっくりできた。前日にお昼を買いに「SHIINYA」という、スーパーに行ったら、30年もの間、式根島のリピーターである、K氏に出会った。色々なことを知ってらして、人生のアドバイスもいただいた。今回も奥様とキャンプ場で式根を楽しんでいらした。島民にも顔なじみで、あるお土産屋さんでは、K氏の紹介で来たと言ったら、1割引きしてくれた。また、Kご夫妻が帰りの船で食べたら良いと勧めてくれた、「みやとら」というスーパーの「島のり弁当」を予約しておいたので、取りに行ってから、民宿のおじさんに港までちょっと観光しながら、送ってもらった。 「みやとら」さんも、民宿「白い砂」から歩いて3分ぐらいの所にあった。
 
 
今回、「白い砂」に泊まって正解だった。海岸や温泉から近く、島のスーパーやお土産屋さんも近くにあった。宿も清潔で、食事もおばあちゃんが作る野菜を使った料理・煮魚・揚げ魚・お刺身・天ぷらなど、日によってメニューが違って出てきた。縁側もあり、田舎のおばあちゃんの家に来たみたいだった。いつもは、おばあちゃんが食事の時に相手をしてくださるそうだが、ちょうど本土に行っていていらしてなかったので、奥さんが色々と島の情報を教えてくださり、初対面の別の泊り客の方とも自然におしゃべりできたりして、嬉しい心遣いだった。これも、客をもてなすということなのだろう。茶の湯にも通ずる。
 
 
帰りの船では、予約席には座らず、デッキにあった椅子とテーブルに座り、ボーッと海や島を見たり、昼寝をしたり、おしゃべりしながら、にわかクルージングを楽しんだ。行きの船では、ハイテンションだった若者達が、帰りの船ではかなり静かだったのが、印象的だった。オーストリアから来たカップルと少しおしゃべりしたが、ヨローッパでは海に面した国が少ないため、島は珍しいそうで、きっとヨーロッパで売られている日本のガイドブックには、伊豆七島もちゃんと入っているのだろうと、主人と予測した。民宿でも、去年はヨーロッパから来たお客さんが何組か泊まったということだった。
 
今回、行った式根島は、予想以上にいい島だった。今まで行った、八丈島、三宅島、神津島、新島、大島の中で、マイ・ベストになった。島自体は小さいが、徒歩や自転車で自由に動きまわれるし、海岸も4つあり、湾になっているので波も穏やかで、シュノーケリングしやすく、また、子供さん連れにはもってこいの安全なビーチだと思う。島の道も整っていて、目的地への標識もしっかりある。テニス場もあった。リピーターが多いのもうなずける。
 
私も、式根のリピーターになりたいが、主人次第。主人は、大島と式根島だけしか行ったことがないので、他の島も見てみたいようだ。でも、きっと式根が一番良いというはず。
 
 
竹芝桟橋に、予定より30分近く早い6pmに到着。私達の乗ってきた、「さるびあ丸」は、7:30pmからの納涼船に早代わりしていた。そして、その納涼船が終わると、またお客さんを乗せ、11pmには島々に向かって出航する。なんと働きものの船だろう。納涼船のない時には、横浜の大桟橋にも寄航するそうで、そうだったら我が家にとっては、なんと楽な旅になるだろう。
 
浜松町までの駅の道のり、都会の空気の悪さを実感した。夜になると暗くなり、人々の暮らしの速度も自然と遅くなる島での生活。都会では日が落ちた後も、電気の光で明るく、人々が忙しなく歩いていた。3日間だけの島の生活だったが、軽いリバースカルチャーショックを受けた。
 
とりあえず、ただいま。でも、また島に行きたい・・・・
 
また行こうね、旦那さん!今度は島3泊で。