2011-03-13

避け所



今回の地震のニュースを聞いて、アメリカの友達からも安否を問うメールが入ってきている。私達は大丈夫なので、ぜひ東北地方や他の打撃を受けた人達に、援助が速やかになされるように、慰められるように祈って欲しいと返事を書いた。すると、10年以上前に1年程一緒に住んだことのあるBさんが、このような聖書のことばを送ってくれた:

神はわれらの避け所、また力。
苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。
たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、
その水かさが増して山々が揺れ動いても。
                 詩篇46篇1-3節

私にとっても今まで経験したことのない大きな揺れはショックだった。なんともとらえどころのない、不安が一瞬襲った。そして、津波の様子をリアルタイムで見ていることも、怖かった。一夜明けて、陽の光の中に照らし出された光景は、想像に絶するものになっていた。それが現実なのか映像の中の世界なのか、区別がつけづらい。その中で多くの方々が亡くなっている。援助を求めている人達がいる。家族の消息がつかめない人達がいる。友達でも、親戚や知人の安否を心配している人達がいる。今まで使えたコミュニケーションのツールが使えず、連絡が思うようにとれないもどかしさ。原発の目に見えない脅威。日本全体が、突然起こった自然の猛威の中で、閉塞感に包まれている感じがする。

地が揺るぎ、生活が揺るぎ、当り前だったことが当り前でなくなっている現実に一瞬にして変わってしまった今、揺るぐことのないお方に頼れることは、なんと慰めだろう。また、言葉で語り合える友達がいるのはなんと嬉しいことだろう。

ツイッターやフェイスブックがもてはやされているが、私はやっぱり声と声を向き合わせるコミュニケーションが好き。私と主人は”アンチ・ソーシャルネットワーク“。せいぜいブログまでそしてたまにツイッターをやる程度。それが私達夫婦の踏み込める限界だ。

この地が神である主の慰めで満ちますように・・・・

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