2011-01-12

「干し柿」(原題persimmon) ロケ

先週の金曜日に、短編映画「干し柿」(原題:Persimmon: 監督:Dean Yamada 脚本:渋谷悠 主演:佐生有語)の撮影隊が、我が家にやって来た。





総勢25名のクルー達が、家の中と外で、仕事をこなしていた。



渋谷さんとディーン監督、佐生さんによる、短編映画の製作は2本目。一本目は「自転車」(2009年作)という作品で、

第66 回ヴェネチア国際映画祭・短編コンペ部門 正式招待

ロードアイランド国際映画祭 正式招待

スターツ・デンバー映画祭 正式招待

ハートランド映画祭最優秀短編作品賞&クリスタル・ハート賞受賞

世界最大の国際短編映画祭クレルモンフェラン(仏)コンペティション部門入選

国内最大級の国際映画祭である札幌ショートフェスト:グランプリの最優秀作品賞を受賞、最優秀音楽賞、最優秀主演男優賞、最優秀撮影賞の4部門を制覇!

などなど

と、とても味わい深い作品。DVD も昨年末に販売された。



実はこの撮影隊、カリフォルニア州にあるバイオラ大学メディア学部の学生達。ディーン監督はその学部の教授。メークさんや衣装さんなどは、日本のプロの方をやとい、学生といっても、ものすごく良い仕事をしていた。



ドーリーと呼ばれる、カメラを移動しながら取る機材も、照明も持ってきた。
 

この日は撮影初日で、主人公のキッチンの場面に、我が家のキッチンが選ばれた。
一つロケを終え、撮影隊が到着したのが、お昼過ぎ。

ほとんどが日本が初めてという学生達が驚いていたのは、我が家の小ささ!

おそらく、彼らの家のリビングルームには、我が家の小さなアパートの2DKの全部屋(トイレ・風呂場も含む)が、すっぽり入ってしまっても、まだ余りがあるかもしれない。

そんな小さな家の中で、初日からチャレンジングなロケ場所にも関わらず、手際よく、ものをどかしながら、かつ使えるものは使って、撮影していた。

そして、撮影後は、きちんと小さなものにいたるまで、元に戻してくれた。終了は9:30pm頃で、近所の人達も暖かく見守ってくださった。知らぬ人に吠える、隣の番犬のガイアも、一日吠えずにいてくれた。撮影隊が帰った後に、仕事から戻ってきた主人も、本当にここで撮影あったのかと思うぐらい、日常に戻っていた。主人にも見せてあげたかった。

今回の撮影で、キッチンが使われたが、撮影隊が好きなように片すので、そのままでよいとのことだった。途中様子を見ると、陶芸教室のY先生のぐい飲み、そして一年目に作った急須やチェリーの絵を描いた器も、セットして使われていた!良い思い出となった。

最後には、映画のシンボルカラーである、オレンジとブルーをあしらった、バッグに入ったプレゼントをいただいた。細かいところまで、神経を使ったよい撮影隊で、半日の撮影を見ている中で、私も大いに学ぶところが多かった。

それにしても、映画の経済効果はやはり地域にとっては、大きなことなのだろうと思った。今回は小さな撮影隊の半日の撮影でも、昼のお弁当は近くのお弁当屋さんで、夜は近くの焼肉屋さんのビビンバ丼が提供されたが、私も含め26食分の売り上げ。お店の人も、嬉しそうだった。


佐生さんの、作らずにでも作っている演技は、すばらしかった。まな板で切る音、お皿を洗う音も、ちゃんと演技になっていた。

「干し柿」(原題persimmon)は、どんな作品になるのか楽しみだ。

5月末完成予定。 

2011-01-06

振り返り・・・

昨年の11月29日に、佐藤美術館のご協力のもと行った「外尾悦郎氏(スペイン・サグラダファミリア教会彫刻師)&マコトフジムラ氏(NY在住・現代日本画家)レクチャー・トークショー」には、約80名の色々なジャンルの方々が集まり、最後は軽食を食べながら、なにか「サロン」のような雰囲気になり、あちらこちらで話しが盛り上がっていた。夏から準備し始め、久々の大きなイベントだったので、果たしてどうなるやらと思ったが、やって本当によかったと思えるイベントになった。また、ここから何が生まれてくるのか楽しみ・・・・



両氏の話しは、とても知性と思考をくすぐられる話しだった。




これは、外尾さんが持ってきてくださった、金箔をガラスではさんだもの。サグラダファミリア教会の塔のてっぺんに使われているものと同じものだそう。サグラダファミリア教会の現在建築中の写真を見たことがあるが、色が使われていることは今まで気づかなかった。一度実物を見れる
のなら見てみたい。


この11月のイベントが終わってから、すぐに毎年恒例の甥っ子ちゃんのお誕生日とクリスマスを兼ねたディナーを兄一家から誘われた。小学校一年生になった甥っ子ちゃんは、やんちゃ盛りだった。主人の膝の上に乗ったりして、主人にもずいぶんと慣れてきたようだ。


甥っ子ちゃんの学校では、礼拝も行われているそう。そこで暗記した「主(しゅ)の祈り」(イエスに祈り方を教えてくださいと尋ねた弟子達に教えた祈り。今でも教会で祈られている。)を、祈り始めたので、私も一緒に甥っ子ちゃんを助けながら、祈った。

甥っ子ちゃん、実は「主の祈り」を、ずっと「手(しゅ)の祈り」と思っていて、最近気づいたらしい。実は私も小学生1、2年生の頃、叔父さんが「町長さんに会った」という話しを聞いて、頭の中では叔父さんが、大きな蝶々に会った場面を想像していて、「私も蝶々さんに会いたい!」とお願いした事があった。甥っ子ちゃんとおばちゃん、どこか似ているところがあるのかもしれない・・・・

その後、クリスマスパーティーを3つこなし、疲れもたまっていたが、暮れは年が越せる程度に大掃除をし、紅白を見てから、カウントダウンに近くの公園まで行った。いつものように、みなとみらいに上がる花火を見て、年明けした。2011年になった瞬間、心の中で何かがはじけた感じがした。2010年は、何か圧迫される感じがずっとしていた気がした。

今年は元旦に、心の大掃除を主人と一日掛けてして、すっきりした心で、新年を始められた。



そして、今日はとうとう結婚5年目に入った。この4年間様々なことがあったが、主人と一緒にここまで歩めたことは、本当に感謝なことだ。4年前のこのアパートの部屋は、引越し後のダンボール箱でいっぱいだったが、今は一つ一つの物が定位置に、しっくりと留まり始めている。でも、いつまでもはじめの愛を忘れずに、いつまでも新婚気分を大切にしていきたい。

2011-01-03

金時山〜いい湯



9時に金太郎コースから登山を開始。その麓には、金太郎の生家跡地と呼ばれる所があった。





変化に富んだ、薄く雪の残る美しい山道を登り、頂上手前の200m登りだけが多少きつかったけれど、12時に山頂到着。あいにく富士山は雲がかかり、ちらほらしか見えなかった。



金時娘と呼ばれる人のいる茶屋でうどんをすすった。

12時45分頃から下山開始。仙石コースを下ったが、かなりぬかるんでいる所があり、下りにくかった。茶屋で購入した靴に巻く藁がとっても役に立った。



今回は3時には、下山できた。なかなか良い時間に降りることができ、満足。

バスに乗り、箱根湯本方面へ向かった。温泉場入口というバス亭で降りる人達がいたので、私達も降りて温泉を探した。


少し戻った塔ノ沢の「一の湯」という、寛永七年(1630年)創業の老舗旅館が、立ち寄り湯を1050円(タオル付)でやっていた。靴が泥まみれだったので、入口て躊躇していたら、中から若い仲居さんが、笑顔で迎え入れてくださったので、ここで温泉に浸かる事にした。

老舗旅館らしく、温かみがあり、風呂場もシンプルだが、窓から川のせせらぎが見え聞こえして、何とも優雅に一時間ほど湯舟にひたった。

宿泊料金も平日はさほど高くないので、いつか主人が代休を取る時にでも泊まってみたいねと、一の湯を後にしながら話した。

また箱根登山バスに乗って小田原に向かった。今回は金時山ハイキングパスというものを使い、乗り放題ができた。夕飯を済ませて、小田原城と二宮金次郎の銅像をちらっと見ながら、帰路に着いた。登山後は小旅行気分。

今回は荷物は主人が背負ってくれて、楽々登山になった。ありがとう旦那さん!行ってよかったね。

今年はこれから

今日はこれから、主人と金時山へ日帰り登山&できれば温泉。言い出しっぺは、私。

3年前に行った、冬山のキリッとした空気感を味わいたくて、リクエスト。

と言いながら、昨晩は果たして、登りきれるのかちょっとひるんだ。

今回は見合ったコース選びを主人がしてくれ、おまけに、荷物は全て主人が背負ってくれるので、私は杖だけ持参の楽々登山!

まあ、登ってみなければわかりませんが…