2022-04-10

カムカムエヴリバディをふりかえり ー安子編ー

 NHKで去年の11月からやっていた朝ドラ「カムカムエヴリバディ」が終わった。いつもは朝ドラに興味を示さない主人と、毎朝一緒に観ては、あーだのこーだの会話しながら一日が終わっていった。

お隣に住む1925年生まれの97歳のマダムCに、「カムカム英語ってご存じですか?今それを題材にした連続テレビ小説をやっているんですよ。」と話したら、

「♫Come, come, everybody, how do you do and how are you?  Won't you have some candy, one and two and three, four, five? Let's all sing a happy song, Sing tra-la la la la♫」

と見事にカムカム英語のテーマソングを歌ってくださった。若いころよく聞いていたそうだ。

このドラマに夢中になれた要因の一つは、1925年に生まれた設定の安子はマダムCと同い年、私の母は安子の5歳下、私はひなたと同い年であり、しかも安子と同じ誕生日の設定という、とても身近に感じられたことだったかもしれない。ひなたが生まれてからのセットにうつりこむ小道具やかかる音楽や連ドラにワーワー言いながら観るのも楽しかった。

安子の物語では、明るい無邪気な少女の日常の中にだんだんと戦争の影が忍び寄り、やがて戦争に巻き込まれ、戦後の復興期が描かれた。ティーンエイジャーの時代が戦争と重なった世代、戦争を知らない子供たちと呼ばれた私達にはその事態はなかなか把握しがたい。色々なメディアを通して、戦争の事を聞くことができるが、52歳でガンで他界した母の口からは、あまり戦争の話しは出たことがなかった。何回か話してくれたのは戦中・戦後は食べ物がなく大変だったこと。そして当時食べていたという”すいとん”を作ってくれた。そして、たった一度だけ、母が中学生の時の帰り道、敵の飛行機が飛んできて、地べたにひれ伏したこと、その時上から「ダダダダダダ」という音と共に、近くにいた子が死んでしまった事を話してくれた。その話を聞いたのは、戦争が終わったのが自分が生まれるたった20年前だった事に、まだ気づいていない小学生の時だった。高度成長期に生まれた私にとっては、戦争は教科書の中に出てくる歴史であり、自分には関係ないものだと思っていた時だった。

母が亡くなった後、色々母の事を思い出す時に、何か重いものを持っていたのが、おそらく戦争で体験したものだったのかもしれないと思った。

お隣の97歳のマダムCはずっと独身を貫いてきた。お話を聞くうちに、戦後素敵な人とやっと出会い、この人となら結婚したいと思っていた矢先にその方は亡くなった事を知った。原因は戦中潜水艦に乗っていて、潜水艦の中で結核が流行っていて、その結核が出てしまい亡くなってしまったそうだ。「戦争がなければ、結婚して今頃どうなってたのかしらね~。」と凛とした姿で語ってくれる。マダムCの戦争の話しで印象に残っているのは、焼夷弾がいかにきれいで、敵機が45度の角度位に通り過ぎたら、二階の物干し場に上がってお父さんと眺めていたそう。「人間は慣れてしまうとそんなものよ。」と。また、下町が空襲にあって火災が起きた時に、防災訓練をさぼると怒っていた組長さんが、町内の人達を安全なはずの所へ誘導していたが、マダムCのお父さんと弟さんは、燃えさかる街の中を馬が歩いていたので、その馬に着いていったら安全な場所に辿り着いて助かり、組長さん達は結局火に巻き込まれて亡くなってしまったそう。「危機的な状態の時、動物の本能は人間の能力より優れているのよ。」

カムカムのドラマの途中でウクライナとロシアの戦争が始まった。ウクライナの若者達は何を考えどう日々を過ごしているのだろうと考えてしまう。マダムCは「私の生きている間にまた戦争が興らないといいんだけど。戦争なんてイヤよ。もうこりごり。」体験したことのある人だけが言える本当の言葉だ。その言葉をしっかり継承していかなければいけない。