2010-12-20

メリー クリスマス!



今、アメリカでヒットしている、YouTubeだそうです。

感動しました・・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=SXh7JR9oKVE&feature=youtube_gdata_player

良いクリスマスの時季を!


2010-12-17

今年の粘土納め



ゴブレット完成!削りを始めた時は、まさかこんな感じになるとは、思ってもいなかった。これも、危うく違う作品になるところから救われた。



後は先週作ったお皿の削り。手回しロクロで作って、てぐすを使って、ロクロからお皿を切り離すとき、底を思ったよりそぎ落としてしまったので、高台を掘り出す事ができなかった。

なので、紐で高台をつけることにした。Y先生が、ロット土は焼いてると薄いところが反ってしまうこともあるので、補強のためにも二重高台にしたらよいということで、こういうかわいい感じの高台になった。

高台をつけたところで、時間がきた。

今年も、色々作れた。去年より少しは上達したかな。今年一年ありがとうございました!

2010-12-14

最近の陶芸



一年に一回、陶芸教室では、T先生が4日間泊り込みで、志野焼きを焼いてくださる。今年は私も抹茶茶碗を焼いてもらうことにした。




釉掛けも終わり、後はこれがどのように焼きあがるのかを待つのみ。

奥は、頼まれて作ったお皿。赤土7号に白化粧の釉薬を刷毛で塗り、その上から透明釉を掛けた。



これも、頼まれて作った、ゴブレットの足を付けていないもの。かなり大きな作りになった。作ってみたものの、一週間経ったら、何かイメージとかけ離れたものになってしまった思い、もう一つ作り直そうと思った。でも、もったいないので、これも何かにしようと、もう少し削ってから周りに穴をたくさん開けて、低いキャンドルにかぶせる置物にしようと思った。




でも、削っているうちに、またゴブレットのような形になり、同じ教会に通うYさんも「いい形じゃない!」と太鼓判を押してくれたので、最初のプランに戻り、足を付けてゴブレットに。


粘土の紐を作って、本体の底に傷を付け、水を塗ってから紐を積み上げた。



この作業の途中に、本体の粘土を濡れタオルに包んで、少しやわらかくし、紐の粘土となじみやすくするために、しばらく置いておく時間ができた。


その間に、何か作っても良いということで、その日の午前中に「自分の家用に、お皿が欲しいな・・・」っと思ったので、ロット土で作ってみた。以前作ったお皿と同じようになればいいのだが。

奥の作品は、横で作業をしていた、裏千家のお茶の先生でもある、Tさんの茶入れ。いつも独創的な作品を作られている。





2010-12-09

ハワイの旅~カイルア



3日目は日曜だったので、午前中はホテルから歩いて行けたHope Chapel Waikikiへ3人で。

着いた日に、カイルアに住んでいる友達で日系3世のRに挨拶がてら電話をしたら、日曜の午後ホテルまで迎えに来てくれて、オアフ島の南側を通って、カイルアまで連れて行ってくれることになった。義母に素敵なレイもプレゼントしてくれた。




カイルアは、ここにある写真では、うまく写せなかったが、とっても美しいビーチ。私の中で、世界で一番好きなビーチ。



今回の旅は義母と時間を過ごす事が目的だったので、まさか友達と会うことができるとは思っていなかったし、ましてや3泊の旅では、ワイキキから離れたカイルアビーチに行くことも断念していた。

主人もハワイがこんなに美しい場所だとは思っていなかったそう。主人がRに「あなたの祖先はベストな場所に移民されましたね!」っと。



カイルアビーチで主人と泳げたのは幸せだった。前回来た時はまさか旦那さんと旦那さんのお義母さんとここに来れるとは、夢にも思っていなかった。 義母もカイルアを満喫してくれ、喜んでくれた。

本当は、Rの年老いたお母さんにもご挨拶したいと思っていたが、私達がカイルアビーチで泳いでいる間に、教会でのコンサートが始まってしまったそうで出掛けてしまったそう。会えなくて残念だった。でも、ちゃんとお土産を用意してくれていた。これがハワイの人のホスピタリティーだ。





私にとってお姉ちゃんのような存在のRが、「またおいで」っと。

また、来ようね!

パールハーバーで遭遇したロケ:
【綾瀬はるか 戦争を聞く~真珠湾に散った恋~】
の全編は、12月12日4pm~5pm TBSで!




2010-12-08

ハワイの旅~パールハーバー



ハワイに着いて、義母と会ってから日程を話していると、義母が歴史的な場所であるパールハーバーに行ってみたいと言った。実は、私たち夫婦も11月初旬にあった日系アメリカ人の歴史ドラマを見ながら、ハワイに行くなら、第二次世界大戦が始まるきっかけとなった、パールハーバーに行きたかったので、びっくり。さっそく行く事にした。

路線バスに乗り、ワイキキから約1時間。同じバスに数人の日本人観光客も乗っていた。



まずここに着いてから、最初にしておかなければならないのは、日本軍に撃沈された戦艦アリゾナの真上にある記念館に行くためにボートに乗るので、その整理券をもらうこと。その後、当時の映像を観たり、敷地内を散策できる。

当時の映像を見ながら、周りがほとんどアメリカ人(西洋人)だったので、東洋人であり日本人である私達少数派を周りの人はどう見るのだろうと少し不安になった。 



50~60名ほどが乗れるボートに乗り、アリゾナ記念館へ。そして、この船には、日本人は私と主人だけ。主人はアメリカ人の血も入っているので、生粋なのは私だけ。


戦後65年経っているが、私を見て他の人はどう思うのだろうか。日本人がこんな所にいて、不快に感じるだろうかと不安に思い、恐怖心になっていった。恐怖心が起こると、自分の中で守りの体制が生まれてきた。「でも、アメリカだって広島・長崎に原爆を落として、もっと悲惨な目に日本はあったんだし、パールハーバーごときで批判しないでほしい。」

だんだん、言われてもいないことを、自分の頭の中で考え出し、自分の心の中では闘争モードになっていくのをハッと感じた。恐怖心が起こると自分を守る体制に入り、やがては争いごとを起こす発端になるのだろうと体験した。

そんなとき、聖書のことばを思い出した。

「まったき愛は恐れを締め出します。」

ふっと、自分を守ることではなく、神様の愛や、人を愛することに心が向いたら、周りの見ず知らずのアメリカ人に対して心のガードが下がった。



記念館の真下に戦艦アリゾナが沈んでいて、まだ油が船から出ている。遺体も引き上げられていないそうで、ここはお墓でもある。いつも陽気なアメリカ人も、とても静かで亡くなった方々に敬意を払っているようだった。

この場所で、義母と祈りをささげた。今はハル・ノートが発見され、パールハーバーの襲撃は不意打ちではなく、大統領はもうすでに知っていて、あえて日本軍に攻撃させ、戦争を起こすきっかけにしたのではないかとも言われている。(戦争が起こると、お金が儲かる人達がいるため)だとしても、日本軍がここで約2400人(民間人は約50名)を殺す結果になったのは、事実。神様の前とアメリカ人の義母の前でそのことをあやまった。

帰りのボートは周りのアメリカ人達も、陽気さを取り戻していた。

ブックストアーに立ち寄ったら、パールハーバーだけでなく、ちゃんとした広島・長崎の本や日系アメリカ人の強制収容所についての本も置いてあり、ちょっとホッとした。もう戦争は起こしてはいけない。

また、TBSのテレビ報道カメラのクルーの人がいて、何を撮っているのだろうと思ったら、帰り際に「綾瀬はるか」さんが車から降りてきて、横を通り過ぎて行った。以前、原爆の日に広島出身の綾瀬さんが、今は亡き筑紫哲也さんのニュース番組のドキュメンタリーに出ていたのを見たので、12月7日(ハワイ時間)のパールハーバーの記念日のための何かのドキュメンタリーを撮りに来たのだろうと思った。

ちょうど、今晩、TBSの10:54pmからのニュース23クロスの番組で、その模様が放映される。



パールハーバーからまたバスに揺られ、ホテルに戻ると、なんと近くの山に虹が出ていた!義母も私達も、心が嬉しくなった。