2009-11-18

楽しくやろう!



先週の陶芸は、家のガス釜の交換があったため、夜の部に行った。この日は、急須の注ぎ口と、蓋の取っ手を作った。紐を積み上げていき、大きな口をきゅっきゅっと指でつめて先端を細くしていく。



とりあえず、こんな形に出来上がった。本当は、もう少し低く作っても良いのだが、以前課題で急須を作った時に、注ぎ口を丸みのある本体に合わせながら削っていく時に、うまく側面に着かづ、削りすぎてかなり短い注ぎ口になってしまったという、トラウマがあるので、意識的に長くした。

今日は、昨日の雨にうって変わり、気持ちの良い日になったが、陶芸教室への道のりはちょっと重く、いつもより遅く到着した。なぜなら、苦手意識のある、注ぎ口の削りが待っていたから。自分の中で「難しい作業」と思っているので、できればやりたくないという思いと、でも、やらなければ終わらないという、葛藤が頭の中でうごめいていた。

教室に着いて、注ぎ口には手をつけずに、もう一個同時進行で作っている、物入れの削りに掛かった。が、すかさずT先生が「Joyさん、注ぎ口やっちゃいましょう!」と、見つかってしまった。とりあえず、先生からどこを削ったらいいかを教えて頂き、恐る恐る削り始めた。

丸みのある本体に合わせながら、隙間なくピタッと着くように削る作業。やり始めると、以前作った時とは違う感覚で、「どの面がどこに接着するからここを削ればいいんだ」ということが、頭の中でなんとなくわかってきた。そうするとだんだん楽しくなってきて、自信を持ちながら削ることができた。



手で持って削っていると、土がどんどん乾いてきて固くなっていく。固くなると削っている最中にひびが入ったり、割れやすくなる。今日は、それに気をつけながら小さなかんなで削った。



そして、削りかすはかなり細かく、土のよう。粘土はやはり土なんだと思わされた。



そしてここまでやって、今日はタイムアップ。全体のバランスが悪いので、もう少し短くしていく。次回が楽しみになった!そして、なんとか完成できそうという希望が出てきた。

人間、やはり希望やビジョンがないと、心がなえてしまったり、ネガティブ思考になってしまう。聖書にも「幻(ビジョン)のない民、みな滅びる」という言葉がある。人間にとって必要なものだ。



今日は違うテーブルで作業をしていた、Mさんの食籠(じきろう)の大作も、こんな素敵な形になってきた。コツコツコツコツと、削りだしている。これに蓋が付く。教室の皆も、完成を楽しみにしている。

そういえば、先週の陶芸教室に、この間、経堂のショップに遊びに行った、3月まで陶芸教室の先生をしてくださっていたY先生が、サプライズで遊びに来てくださった!こんな光景が、教室でまた見られることを心に描きながら、急須の完成に向けて、楽しくがんばろうっと!

2009-11-06

金継ぎ



今週の陶芸で、T先生から金継ぎの仕方を教わった。以前作ったお皿が焼き上がった時に、2mmぐらいの割れ目ができてしまった。割れ目やひびが入っても、金継ぎをすれば、かえってちょっと金が入って、格が上がる雰囲気になる。

まず、シリコン樹脂のようなものを、指で練ってから、割れ目に入れ込んでいく。T先生がこの樹脂のようなものは”おやじ臭"みたいのがするとおっしゃったが、ウ~ン何ともいえない匂いがした。でも、そんな匂いにかまっている暇はなく、早く作業をしないとすぐかたくなってしまう。指で均すように埋め、埋まったら引っかき棒で凹凸になった部分を平らにする。



次に、にかわのようなものを細い筆で埋めた上に塗り、少し乾かしてから、金粉をその上にのせ、指ですり込むように均す。もちろん使った金粉は本物ではない。



出来上がり!

陶芸教室では、今T先生がお一人で教えておられるので、1Fで粘土制作している方々と、2Fで金継ぎ作業している私と行ったり来たりになった。先生がいない間は、一人での作業だった。今までとは違う感じ。



陶芸教室後、夜から久々のNYの画廊のオーナーの通訳の仕事で、広尾の「割烹 久田」に向かった。通訳をやっていて、たまにこのような美味しい料理屋さんでの通訳になる。通訳しながらだが、ちゃんと食べさせていただけるので、感謝だ。人がしゃべっている間に、聞きながら食べるので素早く味わわないといけない。それも慣れてきた。美味しいものの時こそ、素早く味わっても、ちゃんと伝わって、後に残る。


「久田」さんのお料理も、美味しかった。料理長さんが目の前で作ってそれを出してくださる。食材が体にスーっと自然に入ってくる感じがした。特に、最後のメインで出てきた、メンチカツは絶品だった!メンチカツがこんなに軽くなれるなんて思えるほど、スーッと体になじむ感じ。「日本料理屋でメンチカツが出てきてビックリしたでしょう。でもメンチカツも日本食なんですよ。」と。

最後に、料理長の久田雅隆さんが言った言葉が印象に残った。HPに同じ言葉が載っていたので、そちらを紹介する:

「食べ物は私たちの体を創っていきます。人はその人が食べた物の如くなる、とも言われます。私たちが日頃食べている食べ物、飲み物から血液が創られ、細胞が創られていきます。人はその人が食べた物の如くなっていくのです。 食べ物に手を抜くとしっぺ返しが大きいです。体と心に良い料理を作ることをいつも心掛けています。」

一緒にいた、世界中をまわっているベネズエラ人で、日本やアメリカでレストランを経営しているAさんが話してくれた:

「日本食は世界の料理の中で、総合的に見て一番良い料理だと思うんだけど、それを一番理解していないのは、日本人かもしれない。だから僕はそれを日本の人達に気づいて欲しい。」

Aさんは、今度「久田」さんで行われる料理教室に出席するそう。

2009-11-02

教会の鐘



昨日は、年に2回の教会の大掃除の日。きれいにして、暖房機なども出して、冬を迎えクリスマスを迎える。

数日前、「破れている襖の張替えをしたいなー」と、今年のG.W.に赤ちゃんが生まれたMちゃんの一言を聞いて、「できるかもー」っと、つい一度も襖の張替えの経験ないのに声に出てしまった。教会には色々な得意分野を持っている人達がいるので、きっと一緒にやってもらえる人もいるだろうという予想も心に、引き受けた。

ネットで襖の張替えの仕方を調べたり、家にあった大きな刷毛を見つけたり、それなりの準備をして望んだ。

やり始めると、やはりこういうDIYが好きな人が自然と集まった。一人は中1のCくん、そしてそのお父さんである牧師のS先生。Mちゃんの旦那さんも。古い襖の紙を破り、枠をきれいにする時は、Kファミリー。特に、紙を破る時に一番喜んでやってくれたのが、Kファミリーの幼稚園生のHちゃん。私も子供の頃、年末の大掃除で障子の張替えをする時、障子紙を破るのに一番張り切った。

襖紙はMちゃんが用意してくれて、水で貼り付けるタイプのもの。皆で協力しながらなかなかうまく貼れた。

貼る行程で、紙を乾かす時間が必要で、その間に色々な話しをした。今の教会に来てから1年ちょっとなので、まだまだこの教会の歴史については知らない事がたくさんある。教会は、1957年に建てられたもので、老朽化しているところもあるが、私達夫婦は気に入っている。そして、話の中で、教会の屋根裏に鐘が着いている事を聞いた。



以前は、礼拝の前にこの鐘を鳴らしていたそう。時代と共に、鐘を鳴らすと近所迷惑になるということで、今は使われなくなってしまったそう。錆びてしまって、音も良くないらしい。残念。これも磨けば、どうにかなるのだろうか?

襖を取り付けると、「ずっと気になっていた襖がきれいになって嬉しい♪」という感想もいただけた。


襖貼りは、最低3人いるとちょうどよい事がわかった。