2014-06-03

京都 無事 終了

 
 
無事、京都でのお茶会が終わった。京都から戻り1週間になるが、京都でのお茶会が夢のようだ。
 
お茶会では、私達の薄茶席は古い茶室ではなく、クーラーの入った茶室だったが、お点前途中で汗が滴り落ちてしまった。元から代謝がよく、汗をよくかくので、こればかりはコントロールできなかった。でも、お正客さんには、お茶が美味しいと言っていただけたのは、何よりだった。
 
 
 
その他、半東というお点前さんの補佐役と、お運びという水屋から点て出しされるお茶を運ぶ係りもした。何回かお茶会の経験はあるが、お運びの役割は初めてで、お稽古で教わった細かい足の動きなど、うまくはできなかった。でも、思った以上に、お客様方にお茶をお出しすることは、楽しい事だったが、立ったり座ったりの動作で、最後の方はかなり疲れていた。
 
社中も和気藹々と助け合いながら、楽しくできたと思う。特に水屋で連客さんの為に、黙々と沢山の数茶碗を洗い、熱いお湯で温め、拭く方々は、本当に尊敬する。そして茶せん振りと言って、そのお茶碗でお茶をタイミングよく点てる係りも大変だ。そして差配と呼ばれる、出入り口に座り、お茶席の様子を伺いながら、水屋でお茶点てるタイミングを指示したり、お運びさんの交通整理をしたりする方。この方がいなければ、茶室が大混乱になるとっても大切だけど、難しい係り。お菓子を菓子器に人数分盛る係り、煙草盆の火入れの炭をいつも暖かく保つ係り。そして、席と席の間にお花に霧吹きを掛けたり、畳を拭いたり、水差しに水を足したり、お棗にお茶をはいたり(入れる)、夫々が何役もこなす。そうやって、お客さんに美味しいお茶をもてなす。毎回のお茶会で色々な事を学ぶ。
 
お茶会後、お茶会に出席した人達だけ特別に、金毛閣に登らせて頂いた。
 

急な階段を登り、上に着くと、あの秀吉を怒らせたと言われる利休さんの像(本物は当時十字架につけられ焼かれたという話もある)や、天井には長谷川等伯の竜の見事な絵や、いくつか仏像が置かれていた。利休さんの像は、もっと大きなものかと思いきや、私と同じぐらいの大きさで、こんな小さな像に怒った秀吉も、小さな人だなと思ってしまった。(ごめんなさい!)


その後は、利休さんのお墓を見せていただいた。利休さんのお墓の横には、後妻の宗恩(おりき)さんの墓もあった。おりきさんは、三浦綾子さんの小説「千利休とその妻たち」で読んだ時、キリシタンと知り、ここにもキリシタンの墓があったのに興奮した。でも、よく考えれば、旦那さんの隣に奥さんの墓があってもなんの不思議もない。



 
 
 
その夜は、軽い打ち上げに出てから、丸太町教会で夜の礼拝に出席して、丸田町通りをぶらぶら散歩してからホテルに戻った。京都の街は碁盤の目のようになっていて、少しNYの街のようで、判りやすかった・・・・
 
 

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