2013-05-21

これからもがんばろう東北

                        (石巻)

今回の東北の旅は、仙台を拠点に、石巻、塩釜の教会にも行った。

ある街は家が流された空き地に草が生え、まだまだここがどうなって行くのだろという場所や、新しい家が建っている場所や、活気があり日常に戻っている街や、色々状況は違っていた。共通していたのは、人々の見えない心の傷は、どこに行っても同じだったこと。また、多くの教会では、様々な復興支援が続けられていて、疲れが来ているようだ。

そのような人達に、少しでも助けになりたいと、ロサンゼルスの教会から7名の人達が、祈る為と、どうやって神の声を聞きながら祈ったらよいかという事を分かち合う為にやって来た。チームメンバーは日系と中国系のアメリカ人。浜松と横浜から来た私達日本人二人が通訳で加わった。見た目は皆変わらない。

今回は、色々な場所で、思いがけずに再開する人達が多かった。20年ぶりに再開した宣教師もいた。当時はお互い独身だったが、その人は4人の子供の肝っ玉母さんになっていた。 また、日本の各地から復興支援の為に集まって来た若い子達も沢山出会った。主人の昔からの友達にも何人か出会った。気仙沼から来た人達にも会った。

帰る前日には大きめの地震をマンションの7階で体験した。その晩、マッサージを受けたが、施術してくれた人が、311の時の揺れと同じ横揺れで、ちょっと怖かったとおっしゃっていた。311の後1ヶ月も経たないうちに来た、大きめの揺れで、せっかく家の中に散乱していた物の片付けが終わった所の大きな揺れで、また物が散乱してしまい、大きくがっかりしたことも、話してくださった。

5泊6日の旅だったが、ロサンゼルスのチームとは以前から知っているような、親密さを感じた。全ての行程が終わり、ロサンゼルスのチームと仙台駅で別れる時は、まだまだ一緒にいたい感じもしたが、でも、待っている旦那さんのいる横浜へ帰るのも楽しみだった。

東京駅で、横浜への電車に乗り換えながら、復興への温度差を感じた。仕方のないことだろうが、でも、東北が復興中であることを忘れたくなく、また、自分のできることをやっていこうと思った。

横浜駅からは、バスに乗り、家の近くのバス停には主人が迎えに出てくれていた。そして、家には夕飯が用意されていた。週末恒例の「大草原の小さな家」のDVDを見ながら夕食を食べようと約束していたが、主人が東北での話しを聞きたいということになり、DVDを止め、受けた恵みを分かち合った。

旦那さん、行かせてくれてありがとう!夕食も作ってくれていてありがとう!

(仙台のキリシタン殉教地の史跡)


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