2011-06-15

IWATE -

今回のボランティアの旅は、5月末にMちゃんと久々に会ってお昼を食べながら、彼女が行ったボランティアの話しを聞きながら、もし次回行く機会があれば是非一緒に行きたいと話したところから始まった。

行くぎりぎりまで、車の手配など最終決定にならなかったが、全てが整って行くことができた。感謝だった。

まず、9:30pm東京駅発のバスに乗った。今回は強行軍であったので、行きのバスではちゃんと仮眠を取ろうと思いつつ、やっぱりMちゃんとのおしゃべりに花が咲いてしまった。でも1時間ほどうとうとして、いわき駅に0:30am頃に着き、そこで岩手の大槌町まで行く8名のメンバーと落ち合い、車に乗り換えて夜中の1am頃にいわきを出発した。

私は今はペーパードライバーになってしまっているので、今回はドライバーとしてではなく、助手席で運転者とのおしゃべり担当にかってでた。途中何回かサービスエリアで休憩をし、目的地周辺に着いたのは、朝の7:30amぐらい。朝マックを皆で食べ、いよいよ被災地へ入って行った。

少し走ると、突然風景が変わっていく。津波が到達した場所と、ぎりぎりまぬがれた線が見える。人の運命というものを感じた。人にはその運命はコントロールできない。

まず、大槌町の人達の避難所の一つに立ち寄った。この避難所は地区センターのようなところを利用していて、比較的小さな避難所だそう。被災当初は、中々支援物資も届かず、一日一食で過ごしていたそう。被災者の人達は「私たちは見捨てられている」と言っていたそうだ。それを教会の人が聞き付け、物資を届けそのことを知らせることによって、ようやく色々な物資が届くようになったそう。そしてついには、AKB48やEXILEも訪問に来たということ。

私達が着いた時は、そこの避難所の方々は、ようやく近くに仮設住宅ができ、鍵をもらいその日から、荷物などを移し始めたところだった。また、別の場所では衣類の配給バザーがあり、そちらに出掛けている人も多く、あまり人がいなかった。そこで、仮設住宅に連れて行ってもらうことにした。



テレビでも見た光景。小学3年生の時、学校の校舎の立替で、プレハブ校舎で一年間過ごしたことがあり、あの時、夏は暑く、冬は寒く、隣の教室の音が良く聞こえてくるのを思い出した。プライバシーができ、スペースに少し余裕ができたのは良いのだろうが、本当に大変な生活になるのだろう。

そこでも、さほど人がいなかったが、いわきから持っていった、ツナ缶やトイレットペーパー、ペットボトルの水、菓子類などお渡しした。これらの物資は、香港や韓国から送られてきたものもある。





そして、Mちゃんが前回行った時に会った、女の子と美容師さんごっこや、Mちゃんが持っていった絵本を読んで、しばらく遊んだ。その女の子と話しながら、「兄弟はいるの?」と聞いたら、ちょっと淋しそうにいないと答えた。本当に一人っ子なのかも知れないし、もしかすると津波で亡くなってしまった兄弟がいる可能性もあると、ふと思った。そこまで聞く勇気はなかった。

しばらく仮設住宅のところで過ごし、また避難所に戻ると、お昼ということもあって、人がだいぶ帰ってきた。Mちゃんは、前回会ったおばあさんとまた会うことができ、そのおばあさんと祈る時も持てた。そのおばあさんの今の願いは、3Lの夏のズボンが欲しいということ。色々洋服は救援物資で送られて来るが、大きいサイズは中々ないようだ。


仮設住宅での願いは、老人の方々のために、ベッドが欲しいということだった。電化製品は支給されるが、ベッドはない。実はこの二つの願いはもう既に聞き届けられ、次回チームが行く時に、持って行く事ができる。



避難所でも、持ってきた支援物資を渡し、そこを去ろうとした時に、その日の昼食の炊き出しであった、モスバーガーのハンバーガーとチキンが余っているので、チームの皆さんでどうぞといただいてしまった。感謝なことだ。避難所を後にし、海沿いの民宿を訪れることになった。そこは海から20mぐらい上にある場所だが、1Fは津波で流されてしまい、今はご夫婦で2Fに住んでいらっしゃった。どんだけの津波の高さが襲ってきたのだろうと、想像できないくらい、今は海は眼下にあった。息子さんの一人は横浜に住んでおられ、もう一人の息子さんは消防団で、津波で流されてしまったそうだ。Mちゃん達は、前回来たとき、ここの民宿に泊めさせてもらい、また戻ってきたことをご主人は喜んでおられた。流されてしまった敷地に、前日ひまわりの苗を植えたそう。夏になったら、大きく元気に咲いてくれて、見る人に励みになればと、明るい笑顔で話しておられたのが、印象的だった。



そして、2pm前には、その場所を離れ、またいわきへの岐路に向かった。海沿いを走っていったので、街々には、がれきが積まれていたり、所々で、臭いもした。まだまだ手付かずである場所が、多々あった。国会では政権のことで、バタバタしているが、そんなことをウダウダしている場合ではないと思った。



ある場所では、橋が渡れずに、迂回しないといけない場所もあったりして、いわきに戻ったのは10:30pm。岩手がこんな遠いとは思ってもみなかった。自分にとっては、初めての岩手だったが、父が独身時代に岩手の松尾鉱山で経理の仕事をしていて、楽しそうな写真が残っている場所でもあったので、一度は行ってみたいと思っていた場所だった。こんな形で訪れるとは思ってもみなかった。岩手の人はいい人達が多かった。

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