2012-05-28

気仙沼・大島

気仙沼・大島の旅は、Hちゃんに久しぶりに電話をしたところから始まった。仕事で気仙沼に行くということで、少し早めに行きたいけど、一緒に行かないかと、一週間前に誘われ、主人とスケジュールに相談し、OKが出たので行くことになった。

気仙沼と聞くと、昔欽どこファミリーの「気仙沼ちゃん」というのが、私にとっては最初に浮かぶ言葉だった。でも、震災の時、地震後に大火災が起こり、物凄い光景が目に映ったのが印象的だった。

一年以上過ぎた気仙沼は、穏やかな、きれいな港だった。


街中も、ほとんど瓦礫はきれいにされていたが、建物はそのままの姿を残していた。


街中を歩いているときは、今自分が歩いている所が、水の中だったと考えても、考えに及ばないほどだった。

今回は、地元の人達の話しを自然な形で聞けた。実際に体験された人達でさえも、まるで映画を見ているようだったと。ただ、3日3晩燃え続けた火は、恐ろしかったという声が多かった。 


そして、仮設で作られている復興屋台や商店街も、建ち始めた。

少しづつ、観光客も戻り始めている感じがした。お昼を食べたお店の奥さんが話してくれたのは、震災前は、磯の香りがしたけど、今はなんか違う匂いがしていると。まだまだ元の海には戻っていないようだ。早く、磯の香りがして欲しいものだ。


                         


気仙沼港から船で20分程の、大島も良い所だった。少しづつ海岸も片付けれられているようだが、まだまだ前のように戻るには時間がいる。

この小田の浜の海岸まで、Hちゃんとぶらぶら散歩し、海で記念写真を撮ろうとしていたら、3人の地元のおじさん達が「二人の写真撮ってやろっか!」と声を掛けて下さった。ちょうど海に、海草の生育を見に来たそう。おじさん達も、震災のことを色々と話して聞かせてくれた。この浜から見えるところに、なんと気仙沼ちゃんが営んでいる民宿「アインスくりこ」が、あるとおじさん達が教えてくれた。ここも被災されて、今年の秋を目指して改修作業中で、トンカチの音が響いていた。復興は始まっているが、悲しみはまだまだ残っている。

まあ、911で一つのビルが破壊されたのに、再建されるまで10年掛かっている。そんなインスタントに全部がすぐに元のようになるなんて、考えるほうが難しいのかもしれない。忍耐とがまん。でも、その中で、たわいもないことで、一緒に笑えるのが、幸いなのかもしれない。

おじさん達は、昆布の卸の仕事をしていて、島の昆布が集まってくる場所に、案内してくれた。そして、ダンボールに入っていた、半端物の昆布・わかめを指差して、「全部持ってきなー。どうせほうっちゃうから。」と、大きなレジ袋を渡してくれた。Hちゃんは、これから仕事だったので、まだしばらく家に戻れないので、私がもらうことにしたが、それにしても多かったので、泊まった宿「アイランドハヤシ」にも半分分けてきた。この宿も、穴場の宿で、気に入った。

嬉しい事に、私達が行ったすぐ後に、札幌の中学生達が修学旅行で、大島に訪れたらしい。震災後初の修学旅行客となったそうな。
                               
家に帰って、さっそくわかめと豆腐のお味噌汁を作ったら、とっても美味しかった。
気仙沼のわかめも有名らしい。

おじさんから、昆布の他に、「GANBAARE」(https://sites.google.com/site/ganbaare/)という、帆前掛け製品を作っているお店のパンフレットもらった。船でまた本土に戻り、気仙沼駅まで歩いていくことにしたら、ちょうど道沿いに、「GANBAARE」のネットショップがあった。製品も置いてあったので、見させてもらった。そこでもお店のご夫妻に震災当時のお話しを聞いた。そこで売られていた、エコバッグが欲しかったのだが、手持ちのお金が少なくなっていたので、後日通販で買おうと思ったら、なんと、6月2、3日に山下公園で行われる、横浜開港祭に出店されるということ!今週末、自転車で行ってぜひ買おうと思う。

今回、初めて気仙沼に行ったが、正味1泊2日の間に、すっかり魅了されてしまった。人は温かく、食べ物は美味しいし、震災の傷後は残ってはいるが、それでもとても美しい街と島だった。また、時間がゆっくり流れていた。

実は、もう今年の夏休みは、気仙沼の大島に行こうと主人と話している。もちろん、青春18切符の鈍行の旅で。 


ひっそり静まり帰ったこの漁市場も、本来あるべき姿に早く戻ることができるように、
天の父なる神様にお祈りした。

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