2011-12-29

無事終了〜

搬出も1時間程で無事終了した。お願いしていた友達のKちゃん、個展を観に来て下さった、陶芸教室のY先生も飛び入り参加でお手伝いしてくださり、Mさんご夫妻とその甥子&姪子さんと高島屋さんの方々の約10名程での作業。

作品が外されていくと、次の展示の方が、展示の用意をしていった。作品を箱に詰めながら、「お疲れ様。ゆっくり休んでね」と…

終了後は皆でお茶をし、その後Y先生とKちゃんで、東京駅から有楽町駅にあるイルミネーションを見ながら、食事の場所に向かった。良い打ち上げになった。

昨日は以前から旦那さんと計画していた、スーパー温泉の「湯快爽快」へ。入浴後は、1時間みっちりマッサージしてもらった。

今日はさすがに疲れが出て、沢山寝た。旦那さんは、家の外回りの大掃除をしてくれた。私も明日から頑張りま〜す。

31日は恒例の心の大掃除をしてから、紅白を見て新年をいつもの公園で迎える。

良いお年を…

2011-12-27

いよいよ最終日

マコトフジムラ展もいよいよ最終日。

ほとんど毎日作品を観ることができ、色々な新しい発見をしたり、美しく力強い、でも優しさのある絵を観ながら、忙しい中でも、元気が出た。

横浜から東京へは、体力温存のために、今回はグリーン車を使った。なるべく多く睡眠を取るために、ぎりぎりまで寝るため、朝食が家で摂れないことが多かったので、セブンイレブンのシャキシャキレタスサンドを買って食べた。これが結構美味しい!

こんな生活も今日でおしまい。4時からは、また時間との戦いの搬出が始まる。

その前にもう少し作品を楽しもう…

2011-12-24

ありがとうPBU!

PBUの8日間の日本でのツアーも無事終わり、今日は成田空港まで、送り届けに来た。

最後、電車に乗る時に、一人危うく取り残されるメンバーが出る所だったが、何とか無事に電車に乗る事ができ、最後はピースフルに帰って行った。

昨日の日本橋高島屋での2回公演も、大盛況に終わった。8歳になった甥っ子ちゃんも、お友達と一緒に、お母さんに連れられて、観に来てくれた。

最後は出演者のスティーブ・サックスさんにステージに呼ばれて、「きよしこの夜」をPBUの合唱団と「ズイ」という、プロのミュージシャンの方々と一緒に歌うという、サプライズもあった。ものおじせず、大きな声で歌っていた甥っ子ちゃんは、おばちゃんにとって、誇りだった。

短いツアーだったが、何度彼らの歌声に心が励まされただろう。準備は大変だったが、やってよかった…

彼らももう空の上。私は旦那さんの待つ自宅へ。

日本橋髙島屋での、マコトフジムラ展は27日の午後4時まで続きます。

メリークリスマス…

2011-12-22

展示作業




マコトフジムラ展の展示作業の早送り画像のYouTube

http://www.youtube.com/watch?v=0QjHmyqmnco&feature=youtube_gdata_player

マコトフジムラさんがこれを見て、やはりアメリカと日本の作業工程が違うと言っていた。

アメリカでは、それぞれ割り当てられた場所をこつこつと作業していき、日本では、みんなで自然に協力しながら作業していくことが、これを見てよく伺えると。

作業後の、みんなのホっとした笑顔が、なんとも言えずに嬉しかった。

もの作りは、楽しくやるとその場の雰囲気が上がり、人も集まりやすくなるが、イガイガしながらの作業は、空気が冷え、人も集まりにくくなる気がする・・・・そして、その雰囲気は継続していく。

この2日間、日本橋高島屋の美術画廊に入り浸っているが、色々な初めて会う人との会話が楽しい。

2011-12-21

いよいよ

いよいよ、日本橋高島屋で、マコトフジムラ展が今日から始まる。

昨日は絵の搬入をした。この3ヶ月程、絵をアメリカから搬送し、通関させ、100展あまりの絵を3時間で飾る事が無事終わるのか、模索する日々が続いたが、何とか無事終わった。

マコトさんが、長旅をしてきた絵を見て、「絵が疲れてるね。」と、持って来た画材で、少し修復していた。日本画は生きて呼吸をしているよう。箱から出されて、全部が飾られて、絵も何かホッとしている感じがした。

今日の午後2時からはPBUの合唱とサックス、尺八のミニライブもギャラリーである。

展覧会は27日まで。東京に起こしの際はぜひどうぞ!

2011-12-16

PBU到着

また、久々の成田空港。フィラデルフィア聖書大学(PBU)室内合唱団14名を向かえに来た。

これからJRレールパスという、海外からの旅行者用の乗り放題券を引き換えたりした後、市川にある彼らの宿泊先である教会に電車で向かう。その後、ミニ歓迎会が予定されている。

私はどこまで大学生の体力に着い行けるのだろう?

彼らは18日の日曜日の午後3時半と4時半に、銀座教会の外でキャロリング(合唱)をする。銀座の街中で、クリスマスキャロルが響く…

銀座教会はプランタンと同じ通りに面しています。

日曜、お天気だといいな!

2011-12-14

いよいよ本番

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久々のブログ更新。忙しさにかまけて、ご無沙汰していた。


友人のマコトフジムラさんが、日本橋高島屋で来週から個展を行う。その準備とそれにまつわるイベントの準備を仲間達としてきた。

ブログをよく更新していた時は、色々なものを良く見ていたようだ。ぱったり書かなくなったある時、ふと街路樹を見たら、とても新鮮な気がした。忙しいと人は、自分の目の前にあることだけしか、見えなくなっているもんだ。





忙しい中でも、なるべくお稽古事は、こなしてきた。疲れているときに、非日常的なことに自分を置いたり、ものを作ったりすると、よい気分転換とストレス発散になる。

今日は、ちょっと早目の粘土収め。時間は掛かったが、「まめまめ皿」を完成させた。

秋に山登りをした時に泊まった山荘で、三つに仕切られた小皿に、ちょこっとした料理がのっていて、一皿で三品目食べれた。うちにもそのような小皿があれば、品目を多くするモチベーションにもなるかと考えた。さあどうなるか。

話しをマコトさんに戻すが、以下マコトさんの個展のご案内です。ぜひお出かけください!

欽定訳聖書400年を記念に出版された四つの福音書のための装飾彩画個展
マコトフジムラ - 「ホーリー ゴスペルズ」展

アメリカで巡回展示しているものを、今回日本では東京のみで公開
日本画の画材である、岩絵の具等を使った、色鮮やかで
深みのある作品約100点展示

12月21日(水) - 27日(火)
10:00-20:00(最終日は16:00まで)
日本橋高島屋 6階 美術画廊
*21-23日は、作家在廊

21日 ミニギャラリーコンサート 6F美術画廊
    14:00-14:30 
    出演:フィラデルフィア聖書大学室内合唱団
        スティーブ・サックス(サックスフォン)
        ブルース・ヒューバナー(尺八)

23日 ライブ&ミニアーティストトーク 8F催事場
    ①15:00-15:50
    ②17:00-17:50
    出演:フィラデルフィア聖書大学室内合唱団
        スティーブ・サックスwithズイ

*どちらのイベントも入場無料

日本橋髙島屋のHPもご覧ください。

マコトさんも来日し、明日は佐藤美術館で、レクチャートークショーがある。いよいよ準備してきたことの、約2週間の本番が始まる・・・・

2011-08-16

お帰り!

旦那さん、無事元気に帰宅!今日も福島の山小屋から鈍行の旅6時間で横浜到着。 山小屋では美しい自然の中でSさんとよい時間が過ごせたよう。私も機会があれば、訪れたい。

これで留守番も無事終了!旦那さんが家にいるのはホッとする。この5日間なにげに緊張していたのが伺える。でも、留守番も悪くはなかった・・・・


2011-08-14

二人とも充実中



主人は、金曜日無事に盛岡に到着できた。途中は、前夜中に起きた、福島での5弱の地震の影響で、列車のダイアが乱れていた。でも、途中の一区間、振り替え輸送のため、無料で新幹線に乗れ、そのおかげで、予定時刻に到着できた。感謝なことだ。

予想外の乗り換えなどで、荷物を背負って走ったりしたせいか、盛岡に着いた時は、ちょっとお疲れだったようだが、夜にボランティアチームと合流し、その後に来たメールでは、「早速楽しい。」と。私は、フジテレビでやっていた震災の特別番組を見ていたら、ちょうど宮古のことをやっていたので、親近感がわいた。

昨日は、宮古市にある、仮説住宅でカフェを開き、カキ氷などを作り、大勢の方々に来ていただけたそう。子供達とも仲良くなり、最後は手を振って見送ってくれたそう。ボランティア活動も、寄り添いの活動が多くなってきているのだろう。津波から避難された方々は、想像もつかないくらい、恐ろしい体験をされたと思う。今は心のケアーが大切な時期かもしれない。

ボランティアチームのメンバーも、同世代の会社員の方々もいらして、行き帰りの片道2時間の車中で、色々な話で盛り上がったそうだ。今日は、盛岡の教会の礼拝に出て、午後3時過ぎには一泊する駅前のホテルに移動したそうだ。

私のほうも、1日目の夜は、消灯する時、ちょっと淋しく怖く感じたが、父なる神様が共にいてくださると思ったら、朝までぐっすり眠ることができた。

土曜日も、自分のペースで一日過ごすことができ、少し仕事をしたり、気になっていた台所の掃除をしたり、夕方は「ハマジン」という横浜のフリーペーパーで見つけた、「ブリリアン ショートショートシアター」という、みなとみらいにある短編映画専門の映画館に自転車で行ってみた。20分程の作品を3本観れて、1000円。かなりわかりずらい所にあるが、ちゃんとしっかりしたシアターで、椅子はカンヌ映画祭と同じものを使用しているとのこと。座り心地はよかった。こんな所があったなんて、新発見だった。帰りも、「餃子の王将」の餃子が食べたくなり、桜木町駅前の店に入った。結構、女性の一人客の人もいた。

今朝はは礼拝で、午後は平和を考える集いに参加したり、色々な人達とおしゃべりして過ごせた。夜は、主人から電話があったけど、泣きべそはかかずに、おしゃべりできた。主人が行く前は、4日間一人で大丈夫かなと思っていたけど、結構充実して過ごせているかも!

あと2日がんばろうっと・・・・

2011-08-12

今日はこれから



今日は、主人が岩手の宮古へのボランティアと、帰りには福島の山小屋にいるSさんの所へ伺う旅に出た。主人も前々からボランティアに行きたかったので、今回教会の「青年ボランティア」の募集があり、「青年」の年齢にギリギリ入れ、会社の休みも取れたので、参加可能になった。私は、惜しくも圏外なので、お留守番。

今回は4泊5日の旅だが、実は結婚してから、私が留守番するのは初めてのことで、ちょっと緊張する。

20代の頃、東京にいたアメリカ人宣教師で、結婚して間もないカップルと知り合いになった。旦那さんが奥さんを置いて、海外へ会議に出掛けた。その時、奥さんに家に夕食に呼ばれて友達と行った。食事が済んだ頃、旦那さんから奥さんへ電話が来た。それまで笑顔で会話をしていた奥さんが、旦那さんの声を聞いた途端、泣き出してしまった。まだ、何もわからない私は、なんでそんなに泣くのだろうと不思議だったが、自分が結婚してみてわかった気がする。一人外国の地で、気丈に振舞っていたものの、旦那さんが日本にいないといういうことが、相当心細かったのだろうと。

主人の岩手までの旅は、いつものごとく「青春18切符」で鈍行の旅、地元の駅を6:47amに出発して、盛岡到着予定は17:59pm。私も一緒に早起きして、お弁当を作り、駅のプラットホームでお見送り。メールもちょくちょく来るので、まだ心細くない。果たして、4泊5日無事過ごせるだろうか・・・・

行ってらっしゃい、旦那さん!

2011-08-10

先週と今週の陶芸




先週の陶芸は、釉掛けの作業をした。



バケツの中にある釉薬を、満遍なくかき回す作業は、夏はひんやりして気持ちが良い。途中こんなきれいな紋様も浮かび上がってくる。



片口にはビードロ釉を掛けてみた。どういう色に焼きあがるか楽しみ。





そして、2枚のお皿には白マット釉に、トルコ釉を吹き掛けにした。以前やった時には、口で吹いたが、今回は、他の生徒さんが考え付いた、空気ポンプを使ってみた。



こんな風に足で踏みながらの作業。



トルコ釉がどのくらいに出るのだろうか。

もう一つは、友達家族の新築祝い用の、大き目の鉢。これも白マット釉にトルコ釉をポイントに入れてみた。

陶芸は、焼き上がりを想像しながら釉薬を掛けるが、焼き上がってみると想像以上のものが出てくる時が多い。




これは、大震災後の最初の作品。形はなんとなく揺りかごのようになった。安心する形なのだろうか。

上はチタンマット釉に瑠璃釉等をたらしたもの、下はトルコ釉にラスター釉を掛けたもの。なんとも華やかな色合いになった。

そして今週は・・・・



久々のロクロに挑戦。なんと2年ぶり!今回は黒土を使ってみた。とてもやわらかいがきめ細かく、焼き上がりはとっても硬く焼きしまる。久々のロクロには適した土だということ。


菊練りは、予習をしていったが、いまいちうまくいかなかった




でも、土をロクロに乗せて、土ごろしという作業は、2年前に”ロクロ修行”をしたせいか、結構体が覚えていた。土も上下に動いてくれた。Y先生からも、うまくできていると。


いざ水引きをしてみると、手の使い方などやはり忘れていたが、もう一度簡単に教えていただくと、結構良い感じで引けた。


形もそんなにぶれずにできた。久々のロクロは楽しかった。できたものは、小さな器。形もちょっとまちまち。まあ、まだまだこんなもん。


土練から始まった、ロクロ制作では、体の色々なところを使うらしい。2時間もやっていると、かなり疲れる。家に戻ってからも、体のだるさを感じたので、明日筋肉痛にならないように、ストレッチをしておいた。さあ効果はどうかな・・・・

2011-07-25

昔取った杵柄



今朝は、連休に草取りをしたゴミ袋の残りの6袋を主人と一緒に捨てに行った。いっぺんに12袋出したら迷惑になると思い2回に分けた。

主人はごみ出し後、そのまま自転車に乗って、出勤した。私は見送った後、家に戻り、仕事の前に家事を片付けてしまおうと、家に戻った。すると、なんと玄関が開かない!!!

「うわっ、どうしよう、入れない!」

主人がいつもの習慣で、玄関の鍵を閉めてしまい、私もそれにまったく気がついていなかった。鍵は持ってでなかったし、携帯もない。おまけにすっぴんだ!どうしようかと、たたずんでもいられないので、アパートの脇の階段の手の届く位置にある窓に手を伸ばして見ると、なんと鍵が掛かっていなかった!でも、そこに這い上がる事はできないし、階段に梯子を置くことも不可能だ。一瞬、どうしたらいいかわからなかったが、何かの拍子で主人が思い出して戻ってきてくれるように、神様に祈りつつ、主人の行った道をしばらく歩いた。主人の携帯に電話を掛けられればいいのだが、すっかり携帯のメモリーに頼り切っていて、掛けたくても番号がわからない。

最悪友達の家に行って、鍵開けの業者に電話をさせてもらおうかとも考えたが、なぜかまた自分の家に向かって歩き始めた。

「もしお隣の人に梯子を借りれたら何とかなるかも知れない・・・・。」

そんなことを考えながら、角を曲がったら、ちょうど隣の家のおじさんが、玄関の前にいた。そして梯子もちょうど玄関脇にあった。さっそく事情を説明したら、快く梯子を貸して下さった。

梯子を持って、いざ自分の家に行くと、やはりどうやっても、梯子から直接窓に入る方法ない。あきらめかけたが、ある知恵が与えられた。でも、これにはちょっと危険な事をしないとならなかった・・・・

小さい頃はかなりおてんばで、小学校2、3年生の頃、近所の男の子と一緒に、ブロック塀伝いに近所の家の屋根に登った経験もあった。もちろん、屋根に上がった後に近所のおばさんに見つかり、怒られあきれられた。また家を2階建てに増築した時、大工さんの作業を見るのが好きで、よく梯子に登って2階に上がっていた。

そんな経験を持っていたので、梯子を階段の一番上の端に据え置き、開いてる窓の脇にある、別の窓の格子に足を掛け、開いてる窓に移ることにしてみた。作戦成功!近所の人が見ていたら、なんとすごい奥さんだろうと思われてしまう光景だっただろう。まあ、昔おてんばだったことが、こんな時に役に立つとは思いもよらなかった。無駄なお金も払わなくって済んだし・・・・

梯子を貸してくださったおじさんも、「良かったね!」と。

午後に、玄関を出たときに、ちょうど別の隣の家の、高校生の男の子が、ベランダで洗濯物を干していた。軽く挨拶したが、いつにも増してその男の子が、ニコニコしていた。もしや私の武勇伝、カーテン越しに見られてたかな?

2011-07-24

さよなら、アナログ



とうとう、アナログ放送が終わってしまった。

我が家は、やっぱりぎりぎりまで、地デジテレビの切り替えはしておらず、7月に入ってから、カウントダウンの大きなワイプが、画面の左端に出た。字幕が見えずに思わずコールセンターにクレームの電話をした。アナログを最後まで楽しみたい権利を奪われた気がしたから。他にも大勢の人達がクレームの電話をしたそうだ。とにかく地デジテレビに変えなければ消えないと言われ、翌日ヨドバシカメラにテレビを見に行った。テレビ売り場は夜の8時過ぎにも関わらず、非常に混雑していた。あの大き目のワイプは効果があったようだ。

小さな頃、我が家の白黒テレビを買い換えて、大型のカラーテレビが来た日を覚えている。電気屋さんが大きな箱を持ってきて、据え付けてくれた。色が天然色になったのが印象的だった。テレビの上にはお人形やリボンフラワーなど、飾ることができた。

今回の地デジへの切り替えは、何かあっけないものだった。結局アマゾンで購入し、宅急便で商品が届き、我が家の16インチのテレビは、PCのモニターぐらいのもので、とっても軽い。色はさすがにきれいだが、B-CASカードを差し込まなければ見れないという。不思議なものだ。なぜテレビを見るのにカードを差し込まなければいけないのだろう?もう一つ、不思議なのは、地デジ化は日本だけだと思っていたら、韓国やアメリカでもこの数年でなされている。世界が同じ基準になる。バベルの塔を思い起こさせる。

今日は、教会での礼拝があるので、正午にアナログ放送が終わるのを見れないので、せめて教会に行く前に、最後のアナログを楽しんだ。アナログのほうが、画像の具合が落ち着いていて、とても名残惜しかった。



アナログといえば、紙インターネットと言われていた、ぴあも最終号になってしまった。兄の影響で、私も小学生の頃から見ていて、お世話になった。近年は、やはりインターネットで調べるようになってしまい、手に取る機会もなくなっていたが、やっぱり最終号は記念に買っておくことにした。

色々な世の中のシステムが変わっていく中、主人は相変わらず、スイカではなく、自動改札を通す定期を使っている。先日横浜駅で、私の前を通るおじさんも同じ型の定期を使っていて、思わず心の中で、「がんばれ!」と言ってしまった。そして我が家のもう一つのアナログといえば、やっぱり近くの銭湯の「いふり湯」。昔ながら番台、富士山の壁絵、木の桶、タイル、湯上りのジュース、1回10円のヘアードライヤー、昔ながらの10円のマッサージ機。昨日も疲れが癒された。




教会から戻ると、アナログ放送はもう見れなくなってしまっていた。この画像もあと数時間で終わってしまうそう。せめて、この画像からザーザー画面に切り替わる午前0時には見届けようかな・・・・


2011-07-20

今日の陶芸


久々の陶芸ブログ。震災後も地道に通っていました。

今日は、お皿の2枚の削りをした。土はロット土といって、ザラザラ感のある土で、結構私にとって削りやすい土だ。ザックリザックリと削れていく。なので、この土で形成するときは、多少大きめにつくっても大丈夫。でも、削りかすはかなり沢山出る。今回は、このちりとりで2杯。土を再生してくださる先生、お手数掛けてます!


2枚のお皿は、前回作ったお皿が、焼きあがったら反ってしまったので、リベンジで作ったもの。今回は、お皿の腰の部分を削り過ぎないように、慎重に削った。あとは、焼いている間に、へたらないことを祈るのみ。


このリンゴの入れ物は、Y先生の作品を購入したもの。先生の作品は、我が家で色々活躍中。また新しくコレクションに追加。いつも温かみのある作風でついつい手が伸びる。

2011-07-18

二人で草取り



今年は、手がつけられなくならないように、早いうちから草取りをしていた。でも、草は元気で、雨が降るたびに成長し、その後暑くなると、私のほうが草取りをギブアップしていた。

主人が、連休になったら草取りをしようと言ってくれた。そして、蚊の対策には、蚊取り線香を4方向に置いておくと効果があると言って、蚊取り線香立てを即席で作ってくれた。これを置き、長袖長ズボン・帽子・首にはタオルを掛けた上から、虫よけミストのサラテクトを、全身にシュッシュとかけた。

草をむしっていると、バッタやカマキリの赤ちゃんが何匹も出てきた。



やっぱり二人で草取りすると、張り合いが出て、はかどる。おしゃべりしたり、冷たい飲み物で休憩したり。誰かが近くにいて、同じ事をしているというのは、大きな励ましになる。東北の復興のことが頭をよぎった。

最近の日照り続きで、土がカラカラになっていた部分は、結構簡単に草が抜けた。根っこについて来る土も簡単に取れた。今までは、雨が降って地面が湿ったほうが取りやすいと思っていたが、今日は新しい発見だった。



3時間のうちに、12袋も二人で取ってしまった。これで少しは見栄えのするヴィンテージアパートになったかな。



作業が終わると、二人ともどっと疲れが出た。シャワーを浴びてから、明日筋肉痛が出ないように、ストレッチをしておいた。夕飯は作る余力はなく、宅配ピザにした。

そして、今日の最後の締めは、ガリガリ君の梨味!去年、この梨味を食べて、ガリガリ君のマイベストの味になった。マンゴー味も美味しいそうだが、私は残念ながらマンゴー味に出会ったことがない。今年も梨味が出たと聞いてから、もう何本も味わっている。本当の梨を食べているようで、ちまたでも人気味らしい。今年はいつまで梨味が食べれるだろう・・・・

蚊取り線香効果は抜群!とうとう、蚊に刺されずに草取りを終えることができた。ありがとう、旦那さん!

2011-07-16

ベイスターズ初応援☆

横浜市民になって、初めての横浜ベイスターズの応援に自転車で来た。試合が始まって2時間経つと、2千円安くチケットが買える。

阪神戦ですが、10対2で負けてます。さすが阪神ファンの応援は息が合っている。

もっと応援に来ないと!

2011-06-29

- IWAKI

今回のボランティアは、いわき市にある、「ミッション・グローバル・チャペル」を拠点に行った。教会がベースになっていて、この教会の建物は、以前パチンコ屋さんだったものを改築して、教会堂として去年の11月から使っていたそう。以前の小さな教会堂はもらい火で全焼してしまったそうで、その後すぐに教会に通う人のお父さんが亡くなり、相続として持っていたパチンコ屋を教会の会堂として譲ったそうだ。1Fは、パチンコ台を取り払い、広い空間の中に椅子を置いて礼拝し、2、3Fは、従業員やオーナーの居住地区として使われていたので、沢山の部屋や大きなキッチンがいくつか備わっていた。

そして、3月11日大地震を体験したこの教会に、5日後には海外から救援物資が届き始めた。最初は次から次へと送られてくる、物資をどこへ保管しようかと迷い、1Fの広い教会堂に入れることは最初躊躇したそうだが、祈る中で神様に礼拝堂を物資保管場所として使いなさいと示されたそうで、1Fに沢山の物資を入れることができ、地域の方々に配ることができたそうだ。いわき市でも、最初屋内退避命令が出たそうで、物流も入ってこなくなったそう。

また、別の街へも物資を持って行く事ができたそう。トラックでの配送も、去年の秋から教会の人が配送会社の重役になっていたために、容易にそれを利用することができたそうだ。他にも色々な話しを聞くごとに、何から何まで、311のために神様によって整えられていたということが伺えた。

朝晩、このようにボランティアが一つの部屋に集まり、朝はその日の作業の振り分け、夜は報告をし、祈る時を持った。私がいた2日間の間に、約50名ぐらいの人達がボランティアで来ていた。香川・三重・兵庫・静岡・神奈川・東京・韓国・アメリカ・ハワイ・ブラジル・カナダと国籍は様々。また、職業も、トラックの運転手・主婦・チャーチスクールの先生・看護師・カフェオーナー・ミュージシャン・役者・宣教師・牧師と様々で、年代も30代~60代ぐらいの人達がいて多種多様。アメリカからは大工さんも来ていた。また、瓦礫隊のリーダーの青年は、仕事をやめてボランティアに来ていた。

朝の仕事の振り分けの時、瓦礫撤去、生活支援センターでの仕事(地域の方々が必要なものを取りに来る場所)、そこにあるカフェでの仕事、物資の仕分け作業、ボランティア宿舎の清掃、炊き出し、足湯係りなどあったが、Mちゃんと瓦礫撤去作業に加わることにした。最初お役に立てるのかと思ったが、お役に立つことができる作業だった。

2日間、作業をした場所は、四倉海岸にある、ペンション・レストラン「時計台」という場所。ここも、1Fは津波に流されたが、2Fは無事だった。オーナーご夫婦と一緒に作業をした。大きなものは、前に来たチームによって外に出されていて大きな山になっていた。


そして、今は津波によって流れて来た砂の撤去と、部屋の中にあるものを撤去していくというもの。もう既にきれいになっている部屋もあった。 そして、2Fにあったベッドももういらないということで、岩手の仮設住宅のお年寄りに持って行きたいとお願いしたら、是非ということでこの日トラックに積み込んだ。

ここは、一日目に作業をした部屋。元は厨房だったので、砂の中からスプーンや包丁など出てきた。


この様に、スコップで砂をすくい、


篩いに掛け、中にある物を仕分けして、それぞれのゴミの山にまとめて持って行く作業。私は篩いになるものが何かないかと思って、瓦礫の山から見つけたのは、扇風機の外カバー。写真はとり忘れたが、中々便利だった。人間、いざという時は、何でも工夫して使えるものだと、実感。

お昼は、ボランティアセンターで、朝出るときに持たしてくれたおにぎりをいただいた。塩にぎりに海苔を巻いて食べるものだったが、作業後のおにぎりは本当~に美味しかった。一時間の昼休憩の後、作業が続いた。でも、あっという間に時間が来てしまった。一日目のチームは、韓国人、アメリカ人がいて、私は通訳をしていて、最後に「そろそろ終わりにしましょうか~。」と言ったが、このニュアンス、外国の方には「そろそろ」が伝わらなかった。日本人だと、「そろそろ」と言われると、きりの良いところまでやってしまうニュアンスがあると思うが、英語ではそれが伝わらず、なぜ日本人は作業を止めないんだと言い寄られてしまった。ちょっとした異文化エピソード。

これは2日目に作業した部屋だが、砂がいっぱいあった部屋が、こんなになってしまう。コツコツやっていけば、必ずことは終わる。達成感のある作業だった。2日目は、オーナーさんの奥さんとおしゃべりをしながら作業をした。ご主人の両親がこの宿を始め、2代目でオーナーの息子さん達は会社員勤めをしていたそう。ここをたたんで、内陸のほうでまたお店をやるか、会社勤めにするかは、まだこれから考えるとのこと。地震は半端のない揺れで、これは異常だと思い、すぐに内陸のほうへ逃げたそうで、お二人は助かったようだ。おそらくまさかこんな大きな津波が来るとは思っていなかったのだろう、レジはそのままで逃げられたそうだが、それも流されてしまったが、撤去作業中にそっくりそのまま出てきたそうで、喜んでおられた。まだ、この土地の地権書が見つかっておらず、私たちも地権書と個人の写真が見つかったら、オーナーさんに渡して欲しいと言われていた。

また、この地域の今の話題は、原発の避難退去義援金。30km圏内の方々には100万円が支払われるそうだが、34kmだと何も出ないそう。その線引きもなんとも難しいものだ。ここは原発から34kmなので、きっと風評被害もあるだろうし、お客さん相手の商売だと大変だろう。

作業中に、海沿いをヘリコプターが低空で飛んできた。今も海に打ち上げられる遺体を捜索しているそう。ここの海岸線も地震で変わってしまったそうだ。

このペンションの床にこんな文字が書かれていた。「3/11THE END」と。せつない。まさかこんな事になるとは、思っても見なかったことだろう。この建物は解体されるが、ご主人は毎日、作業が終わると、きれいになった部屋の床をほうきで丁寧に掃いておられた。きっと思い出がいっぱいつまって愛着があるのだろう。私も、できればもっと滞在して「時計台」での作業が終わるのを見たかったが、それはまた次なるチームに任せた。

今回、この歴史に残る大震災を報道ではなく、自分の目で見て感じ、そこに住む人達から実際に色々な話しを聞くことができたのは、本当に良かった。メディアの映像はセンセーショナルに撮られるが、実際行ってみると、もちろん大変な事が起こってしまったと感じるが、でも、そこにはまだ命が続いているし、生活が続いていることを感じることができた。

また、そこにいる人達に寄り添い、少しでもお手伝いできたことも感謝だった。オーナーの奥さんが、テレビとかで色々報道されているから、わざわざ来ることになり、申し訳けないとおっしゃっていたが、こんな時はお互い様だとお話しした。あんな作業をオーナーさん達だけでしていたら、希望もなくなってしまうと思う。近くにある昆布工場の瓦礫の撤去作業も、グローバル・ミッション・チャペルのボランティア隊によって、最近終わったそうで、そこの工場主は、最初はもう廃業しようと思っていらしたそうだが、きれいに片付いた工場を見て、もう一度工場を再建してみようかと、思い始めていらっしゃるそう。なんとも嬉しい話しだ。でもまだ人手がなくて、誰の手もかりずに作業している人達も大勢いると聞いている。

東京に戻り、電車に乗った時に、東京の街が普段の生活に戻っていることを感じた。まだまだ東北での復興作業はたんとある。色々な形の作業があるので、ぜひ機会があればお手伝いに行かれることをお勧めしたい。実際に、子供さんなどいると行けない主婦でも、まだまだ支援物資は必要とされているところもあるので、物を送ったり、自分の街に被災してきている方々のボランティアを必要としている所もあるので、調べて参加してみるのも手だと思う。そして、忘れないように、東北の復興の事を話題にすることも、大切な事だと思う。

主人とも、今度は一緒に行ってお手伝いしたいねと話している。

2011-06-15

IWATE -

今回のボランティアの旅は、5月末にMちゃんと久々に会ってお昼を食べながら、彼女が行ったボランティアの話しを聞きながら、もし次回行く機会があれば是非一緒に行きたいと話したところから始まった。

行くぎりぎりまで、車の手配など最終決定にならなかったが、全てが整って行くことができた。感謝だった。

まず、9:30pm東京駅発のバスに乗った。今回は強行軍であったので、行きのバスではちゃんと仮眠を取ろうと思いつつ、やっぱりMちゃんとのおしゃべりに花が咲いてしまった。でも1時間ほどうとうとして、いわき駅に0:30am頃に着き、そこで岩手の大槌町まで行く8名のメンバーと落ち合い、車に乗り換えて夜中の1am頃にいわきを出発した。

私は今はペーパードライバーになってしまっているので、今回はドライバーとしてではなく、助手席で運転者とのおしゃべり担当にかってでた。途中何回かサービスエリアで休憩をし、目的地周辺に着いたのは、朝の7:30amぐらい。朝マックを皆で食べ、いよいよ被災地へ入って行った。

少し走ると、突然風景が変わっていく。津波が到達した場所と、ぎりぎりまぬがれた線が見える。人の運命というものを感じた。人にはその運命はコントロールできない。

まず、大槌町の人達の避難所の一つに立ち寄った。この避難所は地区センターのようなところを利用していて、比較的小さな避難所だそう。被災当初は、中々支援物資も届かず、一日一食で過ごしていたそう。被災者の人達は「私たちは見捨てられている」と言っていたそうだ。それを教会の人が聞き付け、物資を届けそのことを知らせることによって、ようやく色々な物資が届くようになったそう。そしてついには、AKB48やEXILEも訪問に来たということ。

私達が着いた時は、そこの避難所の方々は、ようやく近くに仮設住宅ができ、鍵をもらいその日から、荷物などを移し始めたところだった。また、別の場所では衣類の配給バザーがあり、そちらに出掛けている人も多く、あまり人がいなかった。そこで、仮設住宅に連れて行ってもらうことにした。



テレビでも見た光景。小学3年生の時、学校の校舎の立替で、プレハブ校舎で一年間過ごしたことがあり、あの時、夏は暑く、冬は寒く、隣の教室の音が良く聞こえてくるのを思い出した。プライバシーができ、スペースに少し余裕ができたのは良いのだろうが、本当に大変な生活になるのだろう。

そこでも、さほど人がいなかったが、いわきから持っていった、ツナ缶やトイレットペーパー、ペットボトルの水、菓子類などお渡しした。これらの物資は、香港や韓国から送られてきたものもある。





そして、Mちゃんが前回行った時に会った、女の子と美容師さんごっこや、Mちゃんが持っていった絵本を読んで、しばらく遊んだ。その女の子と話しながら、「兄弟はいるの?」と聞いたら、ちょっと淋しそうにいないと答えた。本当に一人っ子なのかも知れないし、もしかすると津波で亡くなってしまった兄弟がいる可能性もあると、ふと思った。そこまで聞く勇気はなかった。

しばらく仮設住宅のところで過ごし、また避難所に戻ると、お昼ということもあって、人がだいぶ帰ってきた。Mちゃんは、前回会ったおばあさんとまた会うことができ、そのおばあさんと祈る時も持てた。そのおばあさんの今の願いは、3Lの夏のズボンが欲しいということ。色々洋服は救援物資で送られて来るが、大きいサイズは中々ないようだ。


仮設住宅での願いは、老人の方々のために、ベッドが欲しいということだった。電化製品は支給されるが、ベッドはない。実はこの二つの願いはもう既に聞き届けられ、次回チームが行く時に、持って行く事ができる。



避難所でも、持ってきた支援物資を渡し、そこを去ろうとした時に、その日の昼食の炊き出しであった、モスバーガーのハンバーガーとチキンが余っているので、チームの皆さんでどうぞといただいてしまった。感謝なことだ。避難所を後にし、海沿いの民宿を訪れることになった。そこは海から20mぐらい上にある場所だが、1Fは津波で流されてしまい、今はご夫婦で2Fに住んでいらっしゃった。どんだけの津波の高さが襲ってきたのだろうと、想像できないくらい、今は海は眼下にあった。息子さんの一人は横浜に住んでおられ、もう一人の息子さんは消防団で、津波で流されてしまったそうだ。Mちゃん達は、前回来たとき、ここの民宿に泊めさせてもらい、また戻ってきたことをご主人は喜んでおられた。流されてしまった敷地に、前日ひまわりの苗を植えたそう。夏になったら、大きく元気に咲いてくれて、見る人に励みになればと、明るい笑顔で話しておられたのが、印象的だった。



そして、2pm前には、その場所を離れ、またいわきへの岐路に向かった。海沿いを走っていったので、街々には、がれきが積まれていたり、所々で、臭いもした。まだまだ手付かずである場所が、多々あった。国会では政権のことで、バタバタしているが、そんなことをウダウダしている場合ではないと思った。



ある場所では、橋が渡れずに、迂回しないといけない場所もあったりして、いわきに戻ったのは10:30pm。岩手がこんな遠いとは思ってもみなかった。自分にとっては、初めての岩手だったが、父が独身時代に岩手の松尾鉱山で経理の仕事をしていて、楽しそうな写真が残っている場所でもあったので、一度は行ってみたいと思っていた場所だった。こんな形で訪れるとは思ってもみなかった。岩手の人はいい人達が多かった。

2011-06-14

ただいま

無事福島から戻った。運転手のMちゃんが、かなりがんばって運転してくれて、いわきから東京駅まで、2時間半で到着!

今日も、昨日のペンション・レストランの時計台での作業を終えてから、別の場所で作業をしていた、一緒の車で帰る人達を宿舎で待ちながら、少しゆっくりした。

東京に戻って、東京が普通の生活に戻っている空気を感じた。今回のまとめはまた後日…

2011-06-13

今日の作業

今日は福島の四倉海岸にあるペンション時計台の瓦礫の撤去作業ちゅう。

瓦礫を撤去しないと、市で解体してもらえないそうです。10名のチームで、韓国人、アメリカ人もいる国際チームです。

午後も4時まで地道な作業が続きます。

2011-06-11

今日はこれから

久々のブログ更新。

今日はこれから、東京駅でMちゃんと待ち合わせて、夜行バスで東北へ。Mちゃんが何度か行った、いわきの教会を拠点としたボランティアに、一緒に行かせてもらうことになった。いわきに夜中に着き、そこでいわきの教会のチームに合流し、車で岩手の大槌町に行って、必要なお手伝いをする。今の予定では、避難所から仮設住宅への引っ越しのお手伝い。でも、急に別な手伝いになるかもしれない。

主人もボランティアに行きたいそうだか、タイミングがあわず、今回は私が代表で。東北の方々のお手伝いができたらと思うのと、報道を通してではなく、自分の目で色々と見ることができたらと思っている。

主人が東京駅まで、荷物を担いで見送りしてくれる。背中と腰には、ピップエレキバンを貼り、旅の準備はOK。

無理せずに、お手伝いしてきま〜す。更新は期待しないで下さい〜

2011-05-05

自転車旅行 無事終了

帰りもまた、ふらふらと気の向くままに自転車を走らせ、本牧でスーパー等に立ち寄り、いつものルートで帰って来た。約2時間。

三月の終わりに自転車を購入するまで、電動自転車にするか、ギア着きの自転車にするか、さんざん迷った。坂の上に住んでいると、行きは爽快に走り降りるのだが、帰りが大変なのだ。でも、小さい頃から自転車に乗り慣れているので、走り出すと結構な距離を走ってしまう。電動自転車だと14kmほど走ると電池が切れてしまい、恐ろしいことになるそうなので、やはり6段ギアで27インチの物にした。

正解だった。今日の走行距離は往復約25km。電動自転車だったら、完全にアウトだった。

今日の収穫。一昨日の夕食会で、つるかめランドというスーパーにTESCOという、イギリスのスーパーのブランドの物が置いてあると聞いたので、本牧を通った時にまだつるかめが開いていたので、紅茶等買ってみた。紅茶好きにとって、イギリスの紅茶は安くて美味しいので、ありがたい。

行きがけに、主人が「今度は自転車で鎌倉まで一泊旅行で行ってみる?」っと。今日の自転車旅行を終えて、二人の思いはどうなるやら…