2014-06-29

初ラグビー


 
今日は、午前中に教会で礼拝をささげた後、青山の秩父宮ラグビー場に向かった。主人の同僚の方から「関東大学オールスターゲーム」のチケットを頂いたのだ。

外苑前駅を降り、ラグビー場に向かう前にコンビニに寄ると、ラグビー部らしい、大柄で首と腕の太っとい学生さん達が沢山いて、圧倒された。ラグビーしていると、こんな体つきになるのかと関心した。

主人も私もアメフトのルールは分かるもの、ラグビーは良くわからない。でも見ているうちに、回りの皆さんと同じように、「ワー」「オーッ」と言えるまでになり、最後にはお気に入りの選手までできた。ヘルメットも着けずに、大男達がボールを持って体当たりし、突進していく勇姿は圧巻。テレビで見た時は、動きの少ない感じがして、興味をあまり持てなかったが、生で見ると躍動感いっぱいで、面白さが充分伝わった。

試合後、独身時代に住んでた辺りをブラブラしていたら、雷がゴロゴロ、雨がポツポツ降ってきた。そして、間髪をいれずに集中豪雨が始まった。雨宿りしたのは、丁度主人がプロポーズしてくれた場所だった。ロマンチックな雨宿りとなった…


2014-06-18

京都最終日


前日は雨の京都だったが、最終日はお天気も良く暑くなった。泊まったホテルで頂いた京都タワーのフリーチケットがあったので、修学旅行生に混じりながら登ってみた。見渡すとそんなに大きな街ではではないけど、色々なものがぎゅっと詰まった街のように思えた。

そして、前回も京都をご一緒にした、大阪のMさんが京都に来てくださり今回も一緒に、お互い見に行きたいところを見て回ることにした。

私は、今回の旅で、キリシタンの足跡を少し辿ってみたいと思い、色々調べていく中で、「戻橋」という場所に、興味を持ったので、行ってみることにした。
 
秀吉のキリスト教禁教令のもと、1597年に、日本二十六聖人と呼ばれる26人のキリスト教殉教者達が、ここで見せしめに耳たぶを切り落とされ、殉教地長崎へと向かわされた場所。また、他にも色々と伝承がある場所だ。



 
悲しみの場所ではあるが、今は綺麗に遊歩道と整備され、京都の人にとっての散歩道になっていた。ここで、キリシタン達は何を思い、長崎までの道のりを歩いていったのだろうと思った。当時のキリシタン達の迫害は、すさまじいものであったが、それでも信仰を捨てずに、殉教して行った人達が日本にも大勢いることは、クリスチャンの私にとっては、大いに感化される。


その後、前回行けなかった、錦市場に行き、京の食文化を2往復して楽しんだ。

 
 
 
お昼は、おばんざいをいただき、おやつには町家カフェでクリームあんみつを頂いた。器も店内も素敵だった。
 
夕方、Mさんは大阪に、私は錦市場でゲットした京のお惣菜を手に、ぷらっとこだまに乗り込み、横浜に戻った。大きな荷物は、宅急便で送ったので、最後に購入したお土産などだけだったので、楽だった。歳とともに、旅の仕方も変わってくるものだ。
 
旦那さん、今回京都のお茶会に行かせてくれて、ありがとう!また一緒に行って、「らんぶる」で食べようね~。
 
それにしても京都は、奥が深い・・・
 
 

2014-06-03

京都 無事 終了 2

 

 お茶会が終わった次の日は、有志が残って、聚光院で片付けをした。その前に、いつもお稽古で一緒で片付け後すぐに京都を発たなければならないMTさんと、大徳寺の中の高桐院に行った。ここはどうしても訪れたかった、細川ガラシャの墓がある所。開門後わりとすぐだったので、ひと気もなく、とっても綺麗な庭園を短い時間堪能できた。




















この墓は、利休さんが利休の弟子であったガラシャの夫、細川忠興に贈った灯篭を用いたもの。利休さんが秀吉には渡したくなかったので、後ろがわざと欠けている。

高桐院を見終わって、聚光院に片付けに行った。T先生が、名残惜しそうに道具の一つ一つを丁寧に仕舞っている姿が、印象的だった。お昼は、聚光院のお坊様からお招きを受けて、おうどんを一緒に頂くことになった。やはり僧侶の方々の食事は、精進料理で、大きな鍋に茹でられたうどんをみんなでつっついて頂くものだった。つけ汁にねぎや生姜のすりおろし、すりごまをたっぷり入れたシンプルなものだったが、とっても美味しかった。最後は沢庵で椀を綺麗にして終わる。食事中は基本無言で、沢庵を噛む音も立てないそうだが、私達には無理だった。

昼食後、片付けも当初3pmまでの予定だが、早く終わり解散となってしまった。こんなに早く終わると思っていなかったので、旅のガイドブックも持参してなく、さてどうしようかと迷ったが、今回はもうとにかく大徳寺を見て回ることにした。

まず、瑞峯院。ここは、のちにキリシタンとなった大友宗麟が建てたもので、1961年住職が宗麟がキリシタンだったことを記念して、北庭に十字の庭を作られた。これは織部灯篭、別名キリシタン灯篭と呼ばれるもので、下の膨らみが十字架の横木を表しているそう。そして、土の部分にキリストやマリアを彫ったものが施されている。キリシタン弾圧があった頃、足元が少しだけ見えるように埋められ、それをキリシタン達が見つけて礼拝していたと言われる。

 
この下に像が彫られている





このキリシタン灯篭を拠点に、十字の石庭になっている。これは実際に見てみないとわからない。このキリシタン灯篭、実は聚光院でも見た。聚光院では、下の像がむき出しになっていて、最初はただの灯篭だと思って見ていたが、よくよく考えてホテルに戻り写真を見た時に、キリシタン灯篭だとわかった。なぜ聚光院にあるのかお坊様にお聞きしたいところだったが、私にはとても聞ける身分ではなかった。でもいつか聞いてみたい・・・・

しばらく、瑞峯院で石庭を眺めてから、ガイドブックで見て食べてみたいと思った、あぶり餅を食べに行った。細い竹串に黄粉をまぶした小さな団子がついていて、火であぶってある。このあぶったところがなんとも香ばしい。煎茶と一緒に頂いた。


 
 
その後は、とりあえず入れる所は入って、京都のお庭を堪能した。これは小堀遠州のお弟子さんの作。一番落ち着いたかも。



京都で一番小さい石庭
 
 
 
夜は、2009年に主人と各駅停車の旅で京都に行ったとき、結婚記念日のディナーとして、祇園でたまたま見つけた、和をベースにした創作料理の「らんぶる」に行った。
 
主人はさほど食にはこだわりがなくて、好きなお店もそんなにないが、「らんぶる」は、また行きたい数少ないお店の1件でもある。現役のお茶屋さんの一角を利用した、町屋の良さが溢れ、落ち着いて美味しい食事のできるお店。私もまた行ってみたいと思いつつ、前回は時間の都合上来れなかったので、今回は京都にカメラウーマンとして来て下さった、陶芸教室のY先生をお誘いして行った。


お料理のほんの一部


器も素敵で、リラックスした雰囲気、美味しい料理を堪能した。舞妓さんも見れた祇園の夜・・・・・


京都 無事 終了

 
 
無事、京都でのお茶会が終わった。京都から戻り1週間になるが、京都でのお茶会が夢のようだ。
 
お茶会では、私達の薄茶席は古い茶室ではなく、クーラーの入った茶室だったが、お点前途中で汗が滴り落ちてしまった。元から代謝がよく、汗をよくかくので、こればかりはコントロールできなかった。でも、お正客さんには、お茶が美味しいと言っていただけたのは、何よりだった。
 
 
 
その他、半東というお点前さんの補佐役と、お運びという水屋から点て出しされるお茶を運ぶ係りもした。何回かお茶会の経験はあるが、お運びの役割は初めてで、お稽古で教わった細かい足の動きなど、うまくはできなかった。でも、思った以上に、お客様方にお茶をお出しすることは、楽しい事だったが、立ったり座ったりの動作で、最後の方はかなり疲れていた。
 
社中も和気藹々と助け合いながら、楽しくできたと思う。特に水屋で連客さんの為に、黙々と沢山の数茶碗を洗い、熱いお湯で温め、拭く方々は、本当に尊敬する。そして茶せん振りと言って、そのお茶碗でお茶をタイミングよく点てる係りも大変だ。そして差配と呼ばれる、出入り口に座り、お茶席の様子を伺いながら、水屋でお茶点てるタイミングを指示したり、お運びさんの交通整理をしたりする方。この方がいなければ、茶室が大混乱になるとっても大切だけど、難しい係り。お菓子を菓子器に人数分盛る係り、煙草盆の火入れの炭をいつも暖かく保つ係り。そして、席と席の間にお花に霧吹きを掛けたり、畳を拭いたり、水差しに水を足したり、お棗にお茶をはいたり(入れる)、夫々が何役もこなす。そうやって、お客さんに美味しいお茶をもてなす。毎回のお茶会で色々な事を学ぶ。
 
お茶会後、お茶会に出席した人達だけ特別に、金毛閣に登らせて頂いた。
 

急な階段を登り、上に着くと、あの秀吉を怒らせたと言われる利休さんの像(本物は当時十字架につけられ焼かれたという話もある)や、天井には長谷川等伯の竜の見事な絵や、いくつか仏像が置かれていた。利休さんの像は、もっと大きなものかと思いきや、私と同じぐらいの大きさで、こんな小さな像に怒った秀吉も、小さな人だなと思ってしまった。(ごめんなさい!)


その後は、利休さんのお墓を見せていただいた。利休さんのお墓の横には、後妻の宗恩(おりき)さんの墓もあった。おりきさんは、三浦綾子さんの小説「千利休とその妻たち」で読んだ時、キリシタンと知り、ここにもキリシタンの墓があったのに興奮した。でも、よく考えれば、旦那さんの隣に奥さんの墓があってもなんの不思議もない。



 
 
 
その夜は、軽い打ち上げに出てから、丸太町教会で夜の礼拝に出席して、丸田町通りをぶらぶら散歩してからホテルに戻った。京都の街は碁盤の目のようになっていて、少しNYの街のようで、判りやすかった・・・・